大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
擦った揉んだで名付けられた長男が2歳になった頃、そろそろ店へ出れるでしょ、と催促されました。
長男が生まれてから、私はほぼ専業主婦のような生活をしていました。
専業主婦といっても、朝は小姑らのお弁当作りから始まり、時差で食べる皆の朝食を用意しながら洗濯機を回す生活はめまぐるしく、パッパと働かないとどんどん仕事が溜まっていきました。
子供を連れてお散歩へ行くなんて想像すら出来ませんでした。
買物へ行くのが精一杯で、振り返ると公園へ連れていった記憶がほとんどありません。
まったくない、とは言いませんが1日のスケジュールに子供のための時間はなかったです。
おまけに子供が泣くと「うるさい」と言われ、「なぜ泣かすんだ?」と叱られました。
子供は泣くのが仕事です!泣かない子供がいるなら教えてくれ!!
それに、お散歩へ連れて行ったり一緒に遊んだりしてやらないのだから愚図るのは当たり前じゃないですか!
でも、この家族に私の意見や考えなど通じるはずもなく、
そして、私もただただ叱られないように、波風が立たないように、息を殺してノルマをこなすしかなかったんです。
怖かった、家にいるのが怖かった。
自分の平和を守るために子供を犠牲にしたと言われても返す言葉はありません。
まだわけのわからない幼い子供を理不尽なことで怒り倒すとんでもない母親でした。
始終イライラしていて、ささいな事でカッとなったり泣けてきたり。当時は自覚もなかったけれど、どんどん自分が壊れていきました。
長男が2歳になった頃、そろそろ店へ出れるだろうと言われました。
普段は店へ子供が出入りする事を禁止されてました。たまに届け物で仕事場に子供を連れて行くと、店の中をうろちょろさせるなと叱られました。
その子供は小姑が見てるから、店に出ろというのです。
小姑一人は家で家業の経理を担当してました。体が弱いから外へは出せないという理由でしたが、どこが弱いのかさっぱりわかりませんでしたけど。
こんな理不尽な話ってありますか!?
家事一切は私一人に押し付けて、子供を置いて店へ出ろ?
核家族で共働きならまだしも、大人6人分もの洗濯や食事の支度を幼子を抱えてやってきたのに!
はっきりしない私の態度に、「家業を守り立てる気がない」と再三怒られたのもこの頃です。
初めて子供を置いて店へ行く日、ものすごい勢いで泣いた長男。
普段は怒ってばかりの私でしたが、「ママーママー」の泣き声に胸が押しつぶされそうでした。
小姑が店へ出ればいいじゃない!!
そんなに重労働ですか!?
時間にして3時間程でしたが、帰ればいつも泣き疲れて寝ていた長男でした。
ずっとずっと後年に、近所の人から「あまりにも長い間泣きっぱなしで心配になって家の前まで見に行ったことが何度もあった」と聞きました。
そこまで泣いていたなんて知りませんでした。
小姑からはそんな風に聞いていませんでした。
それどころか、「もう少し躾けてくれないと困る」と言われたりしました。「こんな泣いてばかりで幼稚園行けるの?」とも言われました。
だったら、小姑!アンタが店へ行けばいいじゃない!!
こんな状態だったとはいえ、甥っ子と密接に過ごした小姑は長男をずいぶんと可愛がってくれたのも事実です。
長男が幼稚園にあがった頃から、映画を観せに行ったり、パフェを食べに連れて行ったり、プールへ連れて行ったりしてくれました。帰りにはおもちゃを買ってもらいご機嫌で帰ってきた子供。
当然、私は店です。
家業の経理をしているので、家のお金一切は小姑が管理してるといっても過言ではありません。
子供を連れ出した時に必ず言われました。
「うちことだからお金はいいよ。」
は!?
連れてって、なんて頼んでないし!
自分だって家のお金でランチしたりパフェ食べたりしたんでしょ!?
おもちゃだって自分が好きで勝手に買い与えたんでしょ?
「ママはケチ」って言われる母親の気持ち、考えた事ある?
頼んでないのに「ありがとう」なんて言いたくない!!
私が連れて行きたい!!
私だって一緒にパフェ食べて子供の喜ぶ顔が見たい!!
それなのに、
ことあるごとに、
「孫(長男)は、娘(小姑)が育てたようなもの」
そこらじゅうに言いふらす義母!!
育てたのはお前らじゃない!!(怒)

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この記事へのコメント
はじめまして
まず結婚するときに、私が結婚しないなら、家政婦を雇うだけだと言われ、一人目が女の子だったので、親戚から養子をもらいと言われ(長女の存在はどうなるの?と思いました)その長女の名前は義父と小姑が決めました。家の格が違うとか、何をしても下のように扱われました。そして私は嫁いだ日から姑と大姑の介護ばかり。子供の晴れの日に手を引いていくのは小姑でした。 親戚には私が主婦、母としていたらないから小姑は結婚できなかったんだと言われました・・・もうここまで行くとあほらしいでしょ^^うちはただのサラリーマンで、何も継ぐものもありませんのにね。。。
今までに言われた嫌な事 すべて覚えています。あちらは忘れてるようですが、私は一生忘れません。 忘れたいけど・・・。
Re:はじめまして
このブログを書き出した当初は、自分だけが不幸のどん底にいるような錯覚に陥りました。
先が見えなくて疲弊し切ってたような,,
けれど、こうして「我事の様だ」とコメントをいただくたびに、一人じゃない!とエネルギー充電させていただいてます。
忘れたくても傷ついた心はそう簡単には修復されませんよね。
筋肉は一度切れて繋がった時、前より強くなるんだそうです。私たちも傷ついた心をバネに明るい未来目指して、もう一息がんばりましょうね!