大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
新婚生活というより、住み込みの家政婦みたいな生活でした。
特に憂鬱なのが定休日です。
休みだからとホッとする間はありません。
主婦に休みはないとはよく言ったもので、九時十時頃から「お昼何にする?」と義母から牽制が掛かります。こうなるとアテもないのに出掛けるからなどと咄嗟の回避術も出て来ません。
三百六十五日二十四時間、義父母や小姑の影を感じない時はありませんでした。
結婚当初、まだ学生だった小姑のお弁当作りも私の仕事でした、卒業し社会人になっても。
馴染むほどに分担が増え、ますます忙しさに拍車がかかりだんだんと私の精神は壊れていきます。
少ないお給料でやりくりなんて考えられませんでした。
家族全員分の食費も渡されていたので、青空市の利用や挽肉など安い食材で手間を掛けて食費を抑えました。余ったお金で自分のお菓子を買い込むために。
あれを過食症というのでしょうか。
安いスナック菓子、駄菓子を大量に買い込んで自室の押し入れに隠します。
寝起きの早朝や皆が寝静まった深夜に貪り食うのです。
水を飲むことさえ気を使っていたあの頃、水分なしでお菓子を貪る私はやっぱり異常でした。
戻すことなどしなくても全然太りませんでした。日中、働きまくるからですかね。
だんだんと感覚が麻痺して来たのか、それとも慣れなのか、こんな生活が当たり前というか、なにも感じなくなっていきます。感じないというよりも、あきらめ?
心の中に不平不満はそれは積もり積もっていたはずです。
でも、どこにも吐くところがなくて。
最初はマザオに訴えていました。が、マザオが間に入れば入るほどリターンが怖くて、誰にも言うまい、言っても無駄、自分のために我慢が一番、そんな心境へと変わって行ったのです。
そんなある日、どこでなにを吹き込まれたのか、義母が家を建てたいと言い出したのです。
私は妊娠初期、つわりの真っ只中でした。

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