大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
母の日が近づいて来ましたね。
今年は五月の連休に息子達が帰って来るというので、どうでしょうか。(笑)
ま、期待しないことにします。
うちの子の母の日はうるう年に一度くらいの確率なので。
今年の母の日、マザオはどうするでしょうか。
まだ契約の方向が見えず、お金はありません。
結婚して以来、母の日といえば私が用意して来ました。
途中、小姑たちと一緒に贈物をした時もありましたが、マザオは知らん顔でした。なにか用意してと頼むわけでもなく、用意した贈物を自分が渡すわけでもなく、完全に人任せです。
それでも、「ありがとう」だけはしっかり言われてました。私は言われないのにね。
母の日は完全スルーの予定です。
毎年なにかしら贈っても、ありがとうを言われるのは小姑やマザオだけですから。
それにあのバトル以来、すれ違いのまま暮らしています。
義母がなにか言いたげな時もありますが、私の心は完全に閉ざされて口を利かなくてすむように遠ざけて暮らしています。
ひとつ屋根の下では避けることも面倒ではあるものの、面倒か鉢合わせかを天秤にかけたら面倒でも避けた方が心の平和を保てるのです。
義母とは以前の様におしゃべりすることはありません。
いろいろあって、こき使われて、辟易してた義家族との関係でも、時として話がはずむこともありました。笑って話すこともありました。
たったひとつのきっかけで私が爆発してしまいました。
心のどこかで大人げないと思ったり、いい加減に許してやろうかなどと思わないこともないのですが、その度に義母は次の一手を繰り出すのです。
それはわざとではなく、義母の性格そのものかもしれません。
傘であったり、キャリーバッグであったり、洗濯物であったり。
でもね、もう私には寛容に受け止めることは出来なくなりました。
無理です。
母の日は義母の日じゃない。
それに私はもう義母を母だとは思ってないから!

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

PR
この記事へのコメント