大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
帰宅して玄関を開けたら義母とばったり。
あー!!
昼寝ならぬ夕寝?
風呂にも入らずにうたた寝し、ハッと目覚めてトイレへ行こうと部屋から出て来たところに遭遇したというところでしょう。
うたた寝は私も常習なのであれこれ言えた義理ではないですけど、
「働いてる人が一番偉い」のなら働いてる私が帰宅してすぐにお風呂へ入れるように配慮しろって話です。
今に始まった事ではないですが、
義母の自分中心の自由気ままな言動にいつも、いつまでも振り回されます。
今度、息子の結婚に関してもふっと思うところがありました。
小姑が結婚した頃も決して裕福とは言えなかった我が家です。
マザオの給料は結婚当初から一円も上がらず、むしろ食べさせてやってると言わんばかりでした。
家賃もなく雨露しのいでご飯が食べられる幸せとやらを何度聞かされたことでしょうか。
日々、お金のない暮らしに喘いでいながら同じ屋根の下で聞かされる恩着せがましい言葉の数々にうんざりでした。
そりゃあ、あんたたちは優雅にお金を使ってるでしょうよ!
そんな生活の中で結婚していった小姑らの費用はどこから?
特に事務員小姑はうちの中で働いていたのですから。
貯金で買った...
嫁入り道具に車まで用意してました。
どこにそんなお金があったのか、どんな高級取りだったのか、想像に難くありません。
バツイチなのに普通に二度目の結婚式をあげた小姑。
お金がないお金がないと呪文のように聞かされていたあの時期に家財道具一式を用意した義父母。
共々バツイチの娘を持った義父母は四度の結婚式費用を用意できたわけで、
なぜ私はこんな貧乏くじを引かされているんだ!?と恨めしく思います。
長年の同居暮らし、働き蜂のごとく年月を過ごし、いざ子供が結婚する時期を迎え、比べてみればこの差です。
比べること自体、忌々しいですけど、日々悔しさが募ります。
ちなみにマザオと私、自分たちで全てをまかないました。
少々の援助はありましたけど、それはもう援助というよりお小遣いにも満たないものでした。


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いつまでこの同居生活が続くのか、
いつまで借金返済に悩まされるのか、
いつまで草抜きに追われるのか、
分かり切ってるいつものぐだぐだな感情が雨と一緒になって全身ずぶ濡れです。
定期的に気が滅入る症状は毎度のことながら、自分でもコントロールしきれません。
妙にハイテンションに前向きになってみたり、ずーんと落ち込んでみたり、ある意味、忙しい毎日です。
同僚が誕生日を迎えました。
おめでとうの声に笑いながら、五十代になっちゃったからめでたくもないわーとさらりと言った彼女です。
いえいえ、私なんぞプラス五歳です。
彼女と同じこと言ってたのがついこの前のような気がしますけど、もう五年も経ってしまって...。
この調子では還暦までも超特急でしょうね。
だからかもしれません。
まだ五十代になったばかりの頃は、これからの十年で良い意味の激変した生活を思い描いていました。それが半分の五年が経とうとしてる今、どうでしょうか。
確かにお金の苦労は激変したと言ってもいいのかもしれません。
借金はまだまだあるけれど、返済のために借りる自転車操業は無くなりました。
頭を悩ませつつも来るべき支払いはなんとか納める事が出来ています。
擦り切れて透けるような生地になった下着を大事に使い続けずとも、穴の空いた靴下を一張羅のようにそっと扱うこともなくなりました。
肩パッドの入った礼服を思い切って買い替えたのはもう一年前です。
店をやっていた頃には到底手の届かないお値段でした。
キヨブタで買ったんですけどね、買えたって事が我ながらすごいと思ってしまいます。(笑)
身の回りの変化はあります。
でも、でも、でもなんです!
同居の現実は変わりません。
空気の重たさも一緒です。
それどころか、駐在を終えた小姑一家が帰国して、すでに何度もこの家に来ています。
小姑が来ているとわかった途端に、「あぁー!」となるあの気持ちに耐えかねてます。
知人が終活を始めると言って断捨離中です。
それはそれはびっくりするくらいの勢いで、本当に身一つになるつもりかってくらいです。
それなのにうちの中を見渡せば、物にあふれた義母の部屋。
収納も義母のものばかり。
片付けるって事を知らないのかよ!?
季節柄、余計に鬱陶しさが増してます。
先々、不安しか見えません。


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