大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
毎日のようにアプリに投稿される初孫ちゃんの写真や動画を見て癒されています。
こんな穏やかな日が来るなんて、義母と一緒だった頃には想像することすら出来ませんでした。
ふっと見せる表情のいろいろに息子の面影を見て、息子にもこんなにかわいい時があったんだなあと感慨深く思っています。
息子に似ている、それは見ての通りなのですが、
寝返りしたり、音にびっくりして泣いたり、具体的なシーンは全然思い出せません。
可愛い盛りの頃の一挙手一投足が全然思い出せないのです。
覚えているのは、
おんぶしてワックス掛けに疲弊してる自分..
食事の支度に追われ寝室に閉じ込め大泣きされたこと..
まだ小さいのに怒ってばかりいたこと..
お嫁さんの本当にかわいくて一緒にいるだけで幸せの言葉に静かな衝撃を受けました。
私って...
後悔と懺悔しかありません。

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最近気付いたのですが、ヤフーのトップページに義母や義実家との確執の記事が載っています。
ついつい見てしまって時間が過ぎていきます。
世の中には本当にいろいろな人がいるのだと改めて思いました。
うちの義母がまだまだ普通の人に感じてきました。
でも、名付けに口出しして揉めた記事を読んでうちのほうがひどいと思いました。
長男が生まれた時、突然に名前は義父がつけると言い出して二週間の大バトルが始まったのです。
マザオと私が考えていた名前はことごとく却下されました。
最初は義父をなだめていた義母も次第に義父と一緒になってこちらの名前候補をことごとく拒み、出生届の二週間が迫ってきていました。
さすがに小姑も私の味方に立ってくれましたが意固地になったのか、全く聞く耳を持たず揉めに揉めたのでした。
最終的にはマザオが強行突破の形で出生届を出しに行ったのですが、私が心から納得する名前ではありませんでした。
第一子の名付けをできなかったことを心底恨んでます。

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