大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
物置には義家族のガラクタが山ほど積まれていました。
引っ越してきた三十年前は庭仕事の道具など整頓して入っていたのに、年月と共にどんどん押し込まれて、入り口の小さなスペースだけが活用されてる感じです。
一念発起して全体が見渡せるくらいに片付けたのはいつでしたか...
それすら遠い昔ですが、これもまた知らぬ間に義母のプランターや花器が増えてただならぬ気配がします。
義父が亡くなった時にも大量の本や遺品が運び込まれたようで最早物置とてすんなりとは片付けられない様相です。
物置とは別に、家の外壁から波板で囲った私の洗濯機置き場、そこから続くかつては自転車を置いていたスペースにも義母のガラクタがまだ残っています。
片付けても片付けても出てくるガラクタ!
そこにクーハンが置いてありました。
いずれはサ高住へと考えて片付けを始めた義母ですが、単に移動してるだけの感が否めません。
多少は捨てているのでしょうが、物置や元自転車置き場へ突っ込んでる様子です。
クーハンだって小姑たちが散々使って実家へ彫り込んだのでしょう!
自分たちで処分しろ!
なんでゴミになったからって実家へ持ってくるんだよ!
結局は私たちが片付ける羽目になるのです。
最悪です。

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涼しくなったかと思えば蒸し蒸しと暑く、日差しも痛いくらいに強いです。
そんなある日、帰宅して車から降りたらエアコンの室外機がブンブンと回っていました。
義母のリビングのエアコンです。
暑いから仕方ないと思う気持ちともう我慢してよ!という気持ちが混在しました。
自分は暑ければエアコンのスイッチを入れてしまうのに、義母のこととなると我ながらひどいと思ってもこの気持ちは抑えられませんでした。
この家にあるエアコンはみんな年代物です。
貧乏がゆえにエアコンはあっても暗黙の了解でつけることはほとんどなく過ごしてきました。
ここ最近になってやっと日々の生活に限って支払いの心配をせずに買い物できるようになりました。以前は本当に綱渡りの赤貧でしたから。
それもこれも店をやめてなんとか家計が回るように奮闘した結果だと自負しています。
電気代も払えずに、もしかして電気を止められてしまうかもと怯えて暮らした日々を忘れてはいません。冬はまるで外にでもいるように着込んで、夏は濡れたタオルを首に巻いて...
そんな苦労の時代にも年金たっぷりの義母は普通に遊びに出掛け、光熱費も気にすることなく過ごしてきたはずです。
だから?
多少の余裕が出た今になっても義母がエアコンを使うことに目くじらを立ててしまうのかもしれません。
熱中症で倒れたらどうするつもり!?とお叱りを受けるかもしれませんが、悪魔の心はその時はその時と。私が耐えているのに義母が倒れるわけがないとも思ってしまうのでした。
口が裂けても言えませんが。
施設に入ればこんな葛藤なくなるんです。
お互いに気持ちよく過ごせるはずです。

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