大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
大嫌いなお祭りが近づいています。
この辺りの人はお祭りへの肩入れがすごいです。
私の実家は遠くありません。
でも大勢の客人を招いてたお祭りには一度も呼ばれていません。
正確にいうと一度だけあります。
ただ、私の義実家への思い、両親の気持ち、様々な背景が居心地の良い宴席になるわけもなく、
立ちっぱなしで接待に翻弄される私をみてオロオロする母親が気の毒でした。
当時は独身の小姑たちの友達まで押し寄せ大変な重労働が課せられる年中行事の一つのお祭りは、盆暮れ正月とともに大嫌いです。
それは来客のいなくなった今でも後遺症のように大嫌いなままなのです。
駐在を終えて帰国した小姑一家がやって来ないか、目下、最大の心配事です。
もちろん、接待などしませんし、私は仕事ですから知らん顔を貫きます。
でも、もしのこのことやって来たら深夜まで帰らないのが通例です。
義母のダイニングキッチンの向こう側にあるお風呂にも入れないし、廊下にもおちおち出られないとなればイライラマックスは必須です。
だいたい田舎の小さなお祭りです。
自分の家でやれよ!って話です。
私がお祭りの接待を拒否してから来客もなく静かなお祭りを迎えるはずでした。
それが義母が一人でやると言い出し、結果、はちゃめちゃなお祭りを身内で迎えた翌年からうちから「お祭り」がなくなりました。
店が忙しいからと言い訳もありましたしね。
ただ、小姑一家だけは押しかけて来ていたのです。
小姑一家が自宅を建ててから新築の家へ一度も招待もされていないし、その地区のお祭りへ呼ばれるなんてあり得ないようです。それなのに実家の祭りには招待せずとも押しかけてくる神経を疑います。店が忙しいって言っているのに。
かつてはこんな状態で、紆余曲折を経て今に至ります。
そして帰国した今年はどうなるのでしょうか。
知ったこっちゃないという気持ちとまた押しかけられるかもという不安が入り混ざっています。
とりあえずは自宅にいないのが一番。
仕事ではありますが、外食することにしました。
仕事を終えてからですから居酒屋くらいしかないんですけど。
それも隣町まで!
アホくさいけど、バカバカしいと思いながら。


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いきなり長袖です。
暑い暑いと言っていたのにもう肌寒いなんて。
北海道では氷点下になったところもあるとニュースで知りました。
地震や豪雨、自然の猛威になすすべもないとため息を吐く間もなく氷点下なんて。
愚痴ばかり言ってる私自身の環境を振り返れば、自分の思慮のなさが情けないです。
わかっていても、同居を決めた若い頃の私の自業自得だと思っていても、同居解消、自由を求める気持ちはなくなりません。
ドアの向こうから聞こえる義母の声だけで嫌悪感が増すのです。
声がでかいんだよ!
息子が職場の移動とともに引越しをし、車をうちへ置いて行きました。
月極めの駐車場が田舎でワンルームを借りられるくらい高額だからです。
一台しかなかった車が二台になって便利になりました。
ガソリン割引デーに二台とも満タンにしておけば次の割引デーまで通常価格で給油しなくても持ちそうなんです。
割引デー当日の朝、マザオが義母を送るついでにガソリンを入れて来ると言いました。
まず先に息子の車の方を。
もうそこでカチンと来るのです。
なんで息子の車に義母を乗せるんだって。
感情を押し殺して「息子の車は私が仕事へ行く時に給油すればいいから自分の車で行って」と言いました。
「いや、向きも変えたいし自分の車は後でいいよ。」
もうー!なんでよ!!
マザオには私の気持ちなどわかるわけがありません。
息子の車が汚れる?とにかく義母を乗せたくないのに。
本当は自分たちの車でさえ義母を乗せるのは嫌だけど、すでに常日頃から乗ってしまっているのですから諦めるしかありません。だから余計に息子の車には近づかせたくないのです。
こんなわけのわからない感情を理解できるのは、やはり同居の苦労をした人だけなんではないかなと思います。


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