大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
会社の福利厚生がどんどん削られています。
今までもらえていたクーポン券も配布がないまま、気がつけば六月も終わりです。
今まで年度末にいただいていたのだから、配布はあり得ないですね。
これで楽しみの一つだったホテルバイキングは知らぬ間に最終回を迎えていたことになりました。
その代わり?美術展の入場券をいただきました。
学もなければ芸もない私はとんと絵画に興味がありませんから持ち帰った入場券をポンとテーブルの上へ置いていました。
絵の留学まで勧められた器用貧乏なマザオはそれを見るなり、「行きたい!」でした。
どうぞご勝手に、と思ったのですが
結局、一緒に出掛け食事をして帰ってきました。
久々に出向いた隣街は方向もわからなくなるくらい様変わりしていて浦島太郎子状態でした。
ついでに、息子の両家顔合わせの時に着ていく服はないかなとぶらぶらしてみたのですけど
ゼロがひとつ多いんじゃないかと思うような値札が付いていました。
ボタンとボタンの間に差し込まれた値札をこそこそと引きずり出しては、そそくさと立ち去る自分に嫌気がさしました。
長い間、まともに洋服など買えない時間が続いて、やっと少しだけ余裕(というほどでもないですが)出て、キヨブタで礼服を買ったのは去年の話です。
持っているスーツは昭和感溢れるデザインで久々に袖を通しても違和感しかありません。
息子の配慮でしょうか。
「お互いざっくばらんに平服で」
これが返って頭を悩ませることになってます。
ジーンズとカッターシャツが制服代わりだった自営業時代、今は会社支給の制服を日常の大半で身にまとっているのです。
こんな感じなら堅苦しくもなくカジュアル過ぎず良さそうかなと思えば、やはりお値段はそれなりで、店員さんの声掛けにビクついてお断りする貧乏人の自分に情けないやら...
ネット通販の三千円もしないワンピースを返品したばかりです。
三千円弱のワンピース、想像がつくでしょうに!自分で苦笑いですね。
今、職場でも予期しない変化が次々と起こっていて、その対応もせねばならず
あっちもこっちもで頭がパンクしそうです。
私ごときがもがいたところでどうにもならないのですけど、あれやこれやと考え込んでしまします。
とりあえずは着て行くものをなんとかしなくてはなりません。
買うしかないですけど。


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帰宅して玄関を開けたら義母とばったり。
あー!!
昼寝ならぬ夕寝?
風呂にも入らずにうたた寝し、ハッと目覚めてトイレへ行こうと部屋から出て来たところに遭遇したというところでしょう。
うたた寝は私も常習なのであれこれ言えた義理ではないですけど、
「働いてる人が一番偉い」のなら働いてる私が帰宅してすぐにお風呂へ入れるように配慮しろって話です。
今に始まった事ではないですが、
義母の自分中心の自由気ままな言動にいつも、いつまでも振り回されます。
今度、息子の結婚に関してもふっと思うところがありました。
小姑が結婚した頃も決して裕福とは言えなかった我が家です。
マザオの給料は結婚当初から一円も上がらず、むしろ食べさせてやってると言わんばかりでした。
家賃もなく雨露しのいでご飯が食べられる幸せとやらを何度聞かされたことでしょうか。
日々、お金のない暮らしに喘いでいながら同じ屋根の下で聞かされる恩着せがましい言葉の数々にうんざりでした。
そりゃあ、あんたたちは優雅にお金を使ってるでしょうよ!
そんな生活の中で結婚していった小姑らの費用はどこから?
特に事務員小姑はうちの中で働いていたのですから。
貯金で買った...
嫁入り道具に車まで用意してました。
どこにそんなお金があったのか、どんな高級取りだったのか、想像に難くありません。
バツイチなのに普通に二度目の結婚式をあげた小姑。
お金がないお金がないと呪文のように聞かされていたあの時期に家財道具一式を用意した義父母。
共々バツイチの娘を持った義父母は四度の結婚式費用を用意できたわけで、
なぜ私はこんな貧乏くじを引かされているんだ!?と恨めしく思います。
長年の同居暮らし、働き蜂のごとく年月を過ごし、いざ子供が結婚する時期を迎え、比べてみればこの差です。
比べること自体、忌々しいですけど、日々悔しさが募ります。
ちなみにマザオと私、自分たちで全てをまかないました。
少々の援助はありましたけど、それはもう援助というよりお小遣いにも満たないものでした。


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