大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
友人から聞いて、行ってみようかとなり出掛けてきました。
やっぱり新しい家は素敵です。
広いキッチンに最新の設備、モデルルームだから当たり前ですけどね。
ボロキッチンができる前、どんなに小さくても、どんなに安物の寄せ集めでも、私だけのキッチンが欲しくて欲しくてたまりませんでした。
キッチンの体を成してなくてもオーブントースターと電磁調理器と小さな冷蔵庫があればなんとかならないか、妄想し続けたこともありました。
そんなスペースもお金もありませんでした。なにより水がないのですから土台無理な話です。
ボロキッチンが現実化したのは実家の助け舟でした。
いろいろな思いが詰まったボロキッチン、大切に大切に使ってきました。
モデルルームを見学しながら複雑な思いが湧き上がって思わず涙が出そうになりました。
同居してから我慢我慢我慢の生活
自由もお金もない、こんなに働いてこんなに我慢してるのになぜなの?
スタートが遅すぎる自分をぶん殴ってやりたいですが、あきらめず前を見ていこうと思います。

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ここのところ、私の気持ちから義母が排除されてます。
全く思い出さないかといえば、そうではないけど
日々の生活ではほとんど思い出しません。
意図的にという意識はありません。
朝起きて、真っ先に思ったのが義母に見つからないように気持ちが張り詰めたものです。
義母が居なくなってからもしばらくの間はこの習慣が抜けなくて、そのあともう忍者にならなくていいんだと高揚感で謎に声を張り上げたりしたものです。
これが普通の生活なんだと新鮮な感覚に胸踊る日々もすっかり当たり前になっています。
こんな平和な時間で人生を過ごしたかったなとさみしく思うことも多々ありますが、まだ元気なうちに「普通」を知ることができて良かったとも思うのです。
反面、何十年も損をしたと後悔の気持ちももちろんあります。
たとえ同居でなくとも波風があるのは承知しています。
だけど、この苦しかった過去がもったいなくてどうしても受け流すことができませんでした。
ことあるごとに、あの時は,,と思い出しては歯ぎしりしていたのに。
いつの間にか「今」が当たり前になりつつあるのです。
受けた仕打ちを忘れたわけではないけど、心穏やかな日々が続いています。

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