大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
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ボロキッチンが完成してすぐには食事を別にさせてもらえませんでした。
前にも書きましたが、義母も小姑も上げ膳据え膳の生活を失いたくないためか色々と難癖をつけてきたからでした。
最初に別々になったのは洗濯です。
それだって、雨の日に干す場所がないとか物干し竿の位置とか、それまでとの違いを見つけ出して大騒ぎし嫌味をふっかけられての離別でした。
とにかく我慢に我慢を重ねて今の最低限の自陣を確保したのです。
洗濯と朝昼食が別になって間もない頃、義母の洗濯機が壊れてしまいました。
案の定、「貸して」でした。
普通は洗濯機が故障したらコインランドリーか溜め込むしかありませんが、幸か不幸か、私の新品の洗濯機があったのです。
実母が買ってくれたも同然の洗濯機です。貸したくないけど、嫌だとは言えませんでした。
普通ならすぐに修理を依頼するか買い換えをするところですが、自宅内に洗濯機があるので悠長なものです。平気で部屋を横切り、私の洗濯機を使い、時としてそのまま話し込まれて居座られ最悪でした。
もう寿命ではないかと、買い換えることになりましたが、時間がない、お金がない、どれがいいかわからない、屁理屈を並べてなかなか買いに行きません。
しびれを切らした義父が私に、一緒に洗濯機を選びに行ってくれと言い出しました。
今思うとなんで私が連れ出されたのでしょうか。
電球が切れても交換は私、手の届かない窓の掃除や網戸の張り替えも私、芝刈りや枝払いも私、何でもかんでも家政婦の私の仕事だったからかもしれません。
とにかく倹約すぎる義父となんでも一番良い物を欲しがる義母の間に立っての洗濯機選びは悩ましかったのを覚えてます。
どれを買っても文句は必須ですけどね。
案の定、ブーイングの嵐でそれは数年経っても「買い換えたい」とぐずぐず言わせる物となりました。
だったら自分で買いに行け!!
ある時、嫁に行ったのに実家に入り浸る小姑が衝撃の発言、
「洗濯くらい一緒で良いでしょ」
立ちくらみしそうでした。
冗談じゃない、なんでよ...
無言のまま立ち尽くす私にマザオが「バカ言うな」と、
毎日のように来てる小姑がやれば良いとまで言い切ったのです。
言い方も柔らかく笑いながら言ったせいか、そこで洗濯を一緒にするという話は立ち消えになりました。
数少ないマザオの功績です。
次々と同居の災いは降りかかるので洗濯の話はこれきり出てきませんでした。
そのうち、小姑も同居を拒み、自分たちだけの家を建てたので何も言えなくなったのでした。

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洗濯機の様子が変です。
ガタガタと異音を出したかと思えば、終わったのかなと思うくらい静かだったり。
洗濯機の置いてある場所はかろうじて屋根があるとはいえ、屋外ですからね、家電寿命も短くなって当然です。
ボロキッチンはしつらえても洗面所も洗濯機を置く場所もない待遇でずっと我慢してきました。
あかり取りのために透明の波板で囲ってあるのですけど、冬は極寒、夏は灼熱地獄です。
洗濯をするのに裏口の敷居段差をよっこらしょと乗り越えなければいけません。
年齢に関係なく、この大きな段差は負担です。
膝が痛かったり腰に荷重がかかったりするし、アルミの開き戸は九十度までしか開かないので不便です。
こんな不便で大変な思いをしてでも、別がいいに決まってますけどね。
完全同居からボロキッチンの完成を機に洗濯も別々になった直後、義母の洗濯機が壊れました。
途中まで書いたところで、自治会の方が見えて時間がなくなってしまいました。
続きは後ほど。
仕事へ行ってきます。

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