大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
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時間もないお金もない、あまりの多忙さで考える暇もない、それが過去の私でした。
実家が裕福だったら、裕福でなくとも普通だったら、逃げ帰る選択もあったかもしれません。
実父が余命宣告された中、パートの母親が家計を支え看病の負担まで抱え込む実家に逃げる選択はありませんでした。
サラリーマン家庭で普通に育ってきた私は、ついに心が壊れ始めました。
自分の考えなんかなかったように思います。
毎日が苦しくて、泣いてる暇なんかなくて、
それでもベッドに入ると涙が出て、朝日が昇る前に目が覚めて、
また始まる一日に恐怖を覚えてなかなか布団から抜け出せず、
最後は泣きながら、まだ一つしかなかった台所へ涙を拭って立つ日が続きました。
思い出すだけで動悸がします。
ここまで書いて、
今はなんて平和で恵まれた生活なんでしょう!
普通の生活がこんなにも楽しいことを思い出しました。
仕事先ではお決まりの愚痴が飛び交っていますけど、こんな経験をした私にとって天国です。
少しずつ、過去の経験をここへ記録していこうかと思います。

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結婚して、給料は15万にすると言われました。
ここから法事関係の費用、ホームパーティ病の費用の一端、光熱費負担相応など、なんだかんだと引かれて15万満額もらったことなどありません。
同居ですから、家賃もなく食費も別ならば悠々自適と言ってもいいでしょうね。
でも一度も昇級することなく、ずっとこの金額でした。
子供が生まれても、ボロキッチンが出来て食事が完全別になっても、これではやっていけないと訴えても、増えることはありませんでした。
それどころか、経営が苦しくなると痛み分けだと言って減らされることが度々ありました。
自営業ですから休みは週一です。盆休みも正月休みもありません。
年間休日50日前後です。
その休みでさえ、片付けや掃除をしに行ったり、銀行回りと、結局は休みが休みでなくなることも多々ありました。
朝から晩まで店、家庭より店で、帰宅は深夜の生活が延々と続いていました。
子供が幼稚園へ上がると、私の店の負担は増えていきました。
私の生活を知る近くの友人が「いつか倒れる」といつも心配してくれていました。
夫婦でこんなにも働き倒して、休みも少ない中、世帯収入が月額15万円だったのです。
ボーナスなんかありません。
そして、一度も昇級することなく二十年以上、私が経理を担当するまで変わることはありませんでした。
やっと、店のお金の動きも家計も手中に収めたと安堵したのは一瞬でした。

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