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大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

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今日は早めに寝よーと思っていたのに、ついブログを開いてしまいました。
ここに書くことが良いストレス発散になってます。
イライラが少し減ったような?

昨日の記事で「義母はカツラ」、バラしちゃったもんね!
ほくそ笑んでる私です。
陰湿ですね、根性曲がってる、自分でも思うけど、もうどうにも止まらないってヤツです。(笑)


今日は、一昨日書いた「うちの子事件」です。
事件って・・・それほどのことではないかも、ですけど。

上の子が年長さんの時のことです。



子供が幼稚園に入園してからというもの、私にもママ友が出来て、外の世界を知りました。
あ、別に監禁されてたわけじゃないけど(笑)、家政婦業が忙し過ぎて、公園に行ったりのんびり散歩などしたことがなかったのです。

ママ友たちのゆったりした生活が羨ましかった。
アパートで自分たちだけの生活、憧れました。
誰にでも悩みや不満はあるでしょうけど、わかっているつもりだけど、自分は最高に不幸な結婚をした!と思えてしかたなかったんです。

それでも、周囲は「大きなおうちに住んでいいなー」と言うのです。

あんな家、いらない!!
そうも言えず、どこでどう義家に伝わるかもわからないと思うとヘラヘラ笑ってごまかしてました。


ママ友と子供たち、日々親しくなっていく中、家事のペースを早めて夕飯の支度を昼過ぎには終らせるようになりました。午後、子供を幼稚園に迎えに行ってから、そのまま誰かの家に遊びに行くんです。

ひとり、結婚と同時に家を建ててもらったお宅へお邪魔することが大半で、我が家へ来ることはほとんどありませんでした。みんな、うちが小姑までいる完全同居ということで遠慮してたのもあると思います。


商売屋の性?、小姑1名は一旦は就職したのですが、すぐに辞めて家業の事務員となったのでした。

事務員が欲しい程の家業ですかー?
帳簿は私がやるように義父に言われてたんだけど?
この辺りの話は追々に。とにかく、小姑約1名、自宅に常駐の厄。


子供が年長になった時、お祭りにみんなを呼びたいと言い出しました。

毎年、各地区のお祭り、花火大会など、会場近くのお宅に持ち寄りで集まって楽しい時間を過ごしました。子供達は、そこのお宅でお風呂に入ったり、お泊まり会になってしまうこともしばしば。

だけど、我が家の地区のお祭りに友達は呼びませんでした。
散々、お邪魔していながら、大きな家の我が家には呼ばない・・肩身が狭かったです。

お祭りは、義家の親戚や小姑の友達がやってきて、思い出すのも息苦しくなるような忙しさで徹夜で準備が通例でした。

みんなは分かってくれていましたけど、子供には大人の事情なんて知る由もないですよね。
私だって、たまにはみんなをうちに呼んで日頃のお返しがしたい。


改装したての小さなキッチンも出来たじゃない!
意を決して、まず事務員小姑に切り出しました。なんのことはない、小姑は快く「やっと呼べるようになったね。みんな(狭い部屋に)入る?」と言ってくれたのです。


お料理は義家の分も例年通り、私が作るつもりでした。
改装しても毎日、夕飯作らされてたしね。


当日は、あっちのキッチンとこっちのキッチンを行ったり来たり、私も張り切ってました。
子供はまだ早い時間から何度も外に出て「まだ来ないねえ」!(嬉)



あの時の義母の一言で台無しになりました。

「うちの子、優先だから!」

 ※ 成人した小姑たちのことですよ!(驚)

うちの子って誰よ?
マザオの子は「うちの子」じゃないんだ!?
優先もくそもあるかー!!

このセリフ、一生、忘れられないと思います。

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今現在の私の1日は、ほとんどが「店の中」です。

自宅へは寝に帰るだけ。
店を閉めて家に帰ると、だいたい22時から23時。それからお風呂と晩ご飯です。ボロキッチンで料理とは言い難い物を用意してお腹を満たします。

「大変ね。」とよく言われますが、あの頃より全然マシ。もう慣れました。



結婚した頃は、昼間ちょこっと顔を出す程度で専業主婦に近いものでした。
朝は小姑のお弁当作りに始まり、家族の朝ご飯を用意します。ご飯党とパン党の両方!みんなそれぞれが出掛けてから、残り物でやっと朝食です。

そのあと、山のような洗濯物に取り掛かり、サッと簡単な掃除をすませるとあっという間にお昼でした。買物や夕飯の支度の合間に店に顔を出したり、帳簿をつけたり。

子どもが生まれて、小学生になるくらいまではほとんど専業主婦、というか家政婦!

「手伝う気持ちが感じられない」「家業を背負ってく気があるのか」
たびたび尋問されましたけど、家政婦業が忙しくてムリッ!!

今の私なら、言い返したり無視したりガン飛ばしたり(笑)フンッってなことも出来ちゃうけど、当時はメソメソ泣くことしか出来なかった。

でもいいんです。だって売り上げがはかばかしくないから「痛み分けということで時給350円ね。」って言われましたもん。最低賃金の半額セールですよ!


時給350円、インパクトありすぎて今もって忘れられません。
よく考えたら、今はタダ働きみたいなもんでした。350円より待遇悪いってどれだけ貧乏なんでしょう。普通は、同居するとお金の苦労は減るものじゃないんですか。私は結婚によって一挙両得ならぬ一挙両損に?



昨日の、簡易二世帯に改装した話。

寝室をLDKにするために嫁入り道具のツインのフランスベッドも捨てました。

自宅は比較的大きいです。大きなおうちだねって良く言われます。建てた時は大人が6人ですからね。

その大きな家で、自分たちのスペースは改装したLDKのみ。
その限られたスペースに、タンスありーの、ドレッサー置きーの、子どもの学習机置きーの、布団敷きーの、ある意味すごい万能部屋でした。

それでも完成した時の感無量さといったら、ヤッターなんてものじゃありませんでした。
あのセリフを聞くまでは。

「こっちの晩ご飯は誰が作るの?」

今の私の生活は四六時中店の中、当時は義母がそうでした。家事は一切合切、私にお任せだったけど。

心を病んで、嫁の実家がお金を工面して、簡易二世帯に改装したのに、向こうのキッチンは広くて立派なシステムキッチンなのに、なんで私が小さなキッチンでご飯つくらなければならんのだ!?(怒)

成人した小姑がふたりもいるのに、なぜ私が?

全長180センチのI型キッチンで義家族の分まで作り、向こうのキッチンまで食器を取りに行き、盛りつけラップをして置いて来る。こんな生活が続きました。

それでもシアワセ?
朝昼弁当は解放されたし、洗濯も自分たちの分だけ、なにより子どもたちとお気楽に自分たちだけでゆっくりご飯が食べられることが嬉しくてたまらなかったんです。

まだあるよ!
「(義母は)もう歳で無理だけど、換気扇の掃除はどうするの?

知るかー!!というわけにもいかず、どこまでもお人好しな私。

この生活も終焉を迎える日がやってきたのです。とんでもない事情でした。


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