大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
休みの今日、一歩も家の外に出ませんでした。
雨が降っていたので、庭にすら出ることもなく本当にこもりっきりの一日でした。
いつも出掛ける義母も今日に限って外出の予定がないようで、同じ屋根の下で同じ空気を吸って部屋にこもっていたようでした。どういうわけかドタドタと荒い足音もなく、時折台所から鍋を扱うような金属音が聞こえてくるだけの静かな休日...
まともな休みなど満足に取れず、
たまの休日も在宅が苦痛で用事がなくても外出し、
帰宅しようと自宅に近くまで来ても義母の気配を感じ取ればUターンをして再び放浪のドライブに出掛けたあの頃。
休みの丸一日をぼんやりと家の中で過ごす日が来るなんて!
ここに義母さえいなければ。
そう思いながら今日の一日を振り返っても、居ても居なくても変わらない一日でなかったのかと思う自分がいます。
もちろん、義母が居ないとわかっていればトイレへ行くのに廊下の気配を伺うこともしないし、お風呂へ行くタイミングを計る必要もありません。
雨であろうと晴れであろうと自分が思うままに過ごすことができるのです。
義母と遭遇しないよう頑なまでにコタツの番人をして過ごした一日を、
「こんな平和な日が来るなんて」と思うのか、それとも「こんな風にしか過ごせない」と思うのか。
不思議なことに前者でした。
窓の外をぼんやり眺めながら、こんな日もまんざらでもないと思う私がいました。
長年の過酷な日々で感覚が麻痺してしまったのか、少しはマシな生活になった実感なのか。
トイレすら、まず耳を研ぎ澄まし気配をうかがってからなのに。
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この記事へのコメント
お気の毒です!
しばらくは、墓や法事で慌ただしい日々でしたが、今はすっかり静かな物です。
考えてみると、万が一姑がまだ健在なら、きっと私もどこかで仕事をしていると思います。その存在がともかくうざかったですから、自分の部屋に居ても気配を感じるだけでうんざりしたものでした。その上、私が家に居るとわかれば食事にお茶は私が準備は当たり前でしたから。
今のうーさんは、一切お互い干渉しないという点はようやくたどり着いた到達点でしょうが、その存在感はやっぱり・・・でしょうね。
早く私のような?平和な日々が来るのを心からお祈りしていますよ。
ご自愛くださいね。
Re:お気の毒です!
なんでしょうね、あのすごい存在感は!
姿が見えなくても威圧できるすごさ、早くこのうっとおしい空気から解放されたいです。
反目し合っても家の中で会えば、あいさつをするのかどうするのか、こんな小さな葛藤すら面倒です。
朝ならおはようございますですけど、こんにちはやこんばんはは家の中でするあいさつとしては何か違和感があって心の置き所を考えるのが煩わしいのです。
もう意地なんですね。(笑)
早くどうにかならないものか、今か今かと待ってるのです。^^