大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
マザオが出掛ける前夜、義母の台所の蛍光灯が切れました。
台所の灯りは長い蛍光管一本で、あとはスポットライトとカウンター上の蛍光灯になります。
スポットライトは何カ所かあるし、真っ暗ってこともないですがやはり薄暗いでしょうね。
比較的長い間留守にするための準備でバタバタしているマザオが「蛍光灯ないー?」と、あるはずのない蛍光灯を探してることにイラッとしました。
あるわけないじゃん。
あんな長い蛍光灯を使うのは義母の台所だけなんだから!
義母って蛍光灯を取り替えたことあったっけ?
私の記憶では、見たことありません。
蛍光灯が切れたらそれは家政婦である私の仕事ですから、義母がやるわけないですよね。
というより、義母が蛍光灯や電球を買ってきたのも見たことがないです。
ボロキッチンができて生活が別々になっても、困ったことがあれば息子夫婦に頼めばいいとでも思ってるのでしょう。
ムカデが出た!
蛍光灯が切れた!
時計が止まった!
ガス火がつかない!
そんなこと..と思える些細なことまで人頼みです。
もしも同居でなかったら、義母はどうやって生活してたんでしょうか。
なにもかも嫁や息子に振って、おぶさり、都合良く利用して、自分は悠々自適に過ごして来たけど、一人暮らしだったら年金だってお小遣いじゃないんだし、生活費に消えて行きますよ。
同居して、我が物顔で「おとうさんの建てた家」を連呼し、好き放題にしてきた義母だけど、
息子との同居を望まない私には義母のような生活は出来っこありません。
だいたい頼る人がいないし。
マザオがいなくなったら、一人暮らしです。
よぼよぼで蛍光灯も交換出来なくなったら施設ですかねえ。
蛍光灯ひとつ交換出来ないのだから、庭の管理など出来るはずもないです。それなのにぐちゃぐちゃ言われ放題だったかと思うと今更ながら腹が立ちます!
結局、夜遅かったこともあり蛍光灯は切れたまま、翌早朝にマザオは出発しました。
いつ交換したんだろう、いつの間にか台所の電気は点いて明るいです。
知人か誰かが来たのか、それとも自力でなんとかしたのか..
わからないけど、私たちを頼らなくても出来る事なら最初からやれよ!
反撃前の昔なら私に頼み込んで来たでしょうが、今は冷たく距離を置いてるのが鈍感な義母にも理解出来てるようで頼み事や余分な話はして来なくなりました。
清々してます!
本当の意味で清清出来るのはまだ先みたいですけど。
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この記事へのコメント
無題
Re:無題
お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。
三十年もの同居生活、とても語り尽くせないですよね。
同世代の方でしょうか。
お互い解放される日を夢見て、いつかはやって来る自由に希望を馳せて頑張りましょう!
愚痴は吐かないとストレス倍増です。
ここで良かったらどうぞ、バンバン言いに来てくださいね。^^