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大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

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自営業と一言にしても、一人親方から支店を構えるまでいろいろです。年商も業種によって様々ですから、額面の多い少ないよりも経常利益や営業利益を見なければ判断できません。

我が事に振り返れば、うちはどこに属するのか。
最後は、ほぼ一人親方に近い夫婦二人が基本の小さな形態でなんとか乗り切ってきました。
乗り切ったというか..

このブログを読んでくださってる方には、火の車でどうにもならない最後を知っているかと思います。











結婚した当初、私は玉の輿と言われました。
自宅を知っている人からは、商売の名を取って〇〇御殿と言われてました。
義父は地元仲間から出世頭と聞かされました。

商売が傾くまで一切経理に関わってないので決算書がどうなっていたのか知りませんが、銀行からの評価は良かったはずです。

一昨年、店をたたむに当たって今後の返済計画と新たな借入金の相談で銀行を何度も訪ねました。
その度に、良い返事をいただけたのは過去の実績と信用だったと思います。

だけど、私はそんな立派な実績?が生み出す利益を享受した気がしません。
うがった見方をすれば、この家に住み、普通の生活をなんとなく送れるのは、過去のおかげなのかもしれませんが。

事実、義母は、「お父さんの建てた家」の他に「お父さんのおかげ」とお父さん信仰者です。
義父の功績を否定はしません。
今はマザオの手中にある権利は義父からの相続なのですから。
賃貸料という生活の糧は義父からマザオに渡った、私の大嫌いな店から出ています。

でも、私だって、どれほど苦労して下働きとしてこき使われたか!
世間一般のサラリーマン並みの収入なんて夢のように感じました。
朝から晩まで働きっぱなしで、夜なべの内職や得体の知れない単発バイトも年中無休で頑張りました。
そして、最後の銀行への交渉は私だった事実!

世間からも銀行からも、華々しく前途ある撤退をしたと言われているようです。
何が華々しくですか?
苦節三十年ですよ!

そして、義母が「私がそろそろ引き際だと勧めたの。」と触れ回ってるらしいとも。

嘘つくんじゃねえ!クソババア!!

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