大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
宗教の勧誘でしょうか。
この暑い中、数人でグループを作って歩き回っている人がいます。
いつもお断りしてるのに多い時は毎日のように訪問されますが、別の団体かしら?
申し訳ないけど、関心も興味もないので。
それより、小さなお子さんまで引き連れてることに違和感を覚えます。
昔の自分を思い出して、言いようのない怒りさえ湧き出てくるのです。
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自治会の役回りの順番になると、それは私の仕事でした。
店をやっていると、自由なように見えますがそうではありません。
だから家政婦で家の事を一手に引き受けてる私の仕事になります。
今はもうその組織自体が消滅してますが、うちがここへ越してきた頃は「婦人部」というものがありました。
盆踊りやお祭り、敬老会、運動会、とにかく地域の行事にはすべて首を突っ込むような存在でした。
女手がないと不便だから?
持ち回りの婦人部の役を引っ越してきてすぐに割り当てられました。当然のように私の仕事になりましたから、会合や活動に幼い長男をおんぶで連れて行きました。
この時期は盆踊りや夏祭りがあり、それに加えて敬老会や運動会の参加の取りまとめなどで本当に大変でした。
暑い中、日傘をさすわけにもいかず、子供をおんぶしてるのですから親子共ども熱中症で倒れてもおかしくありません。
当時は今ほどに猛暑や熱中症に注意するよう言われてなかったように思います。
それどころか、それくらいは我慢して任務を果たすのが美徳のような風潮だった気がします。
一度、敬老会の出欠取りまとめで割り当てらえた家々を回った時、ガンガン頭痛がして目の前が真っ暗になったことがありました。
ブロック塀の日陰に寄りかかりしゃがみこんだら、熱せられた塀が気持ち悪く、熱いアスファルトに足がついたのかおんぶの長男が泣き出したことを苦々しく思い出しました。
熱中症を侮ってはいけません。
あの時、一歩間違えてたら...
やっとの事で自宅へ戻り、ぐずる息子をほったらかしてしばらく動悸と戦っていた記憶です。
そんな状況でも、息子を預けたり食事の支度を代わってもらえることはありませんでした。
やって当たり前...
あの頃、そこまで我慢していた自分が信じられません。
やっぱりすでに心を病んでたんだと思います。
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この記事へのコメント
無題
でも子供おぶって、行事に出るってほんとうにどこまで一緒なんでしょうか
慈愛が無いから慈愛を持ってもらえない
あんな○○に事で心乱されたくないわ!!
娘ら!!そんなに好きなんならずっと連れてっていただいてけっこうよ!!
本当に言いたいです。そうな風に
Re:無題
この世の嫁姑の関係は崩壊してるのではないかと思えるのに、なんで未だに同居なんかするんでしょうね。
自分のことは棚上げで、堂々巡りの愚問が渦巻く時期になりました。
行事参加の負担は減っても心のモヤモヤは相変わらず、どこまでいっても嫁って...(笑)
お盆休みが待ち遠しいなんて感覚、持ってみたいです。