大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
最近、義母のやることなすことが気に入りません。
まだボロキッチンがなかった完全同居の頃、洗濯物は当然のごとく私ひとりが担当でした。
よそ様のお宅では完全同居であっても洗濯だけは別とよく聞きましたけど、うちは全部私がやるようになってました。
水虫の義父のくつ下は一緒に洗うのが嫌という小姑らの指示で別洗いするのも私でした。
そんなもの!妻である義母が洗えばいいことじゃないですか?
なんで私が洗わなきゃけないんですか?義父のくつ下だけ別洗いって・・!
長男が生まれて間もない頃は紙おむつに対して否定的な意見がよく聞かれ、うちも鶴の一声で布おむつでした。
オムツを洗い、新生児の着替えを洗い、義父のくつ下も別、大人6人分の洗濯物は山のよう・・・
ただでさえ、初めての育児でてんやわんやのところに家事の細かなところまであーでもないこーでもないと注文がつきました。
商売屋の女将として多忙だった義母は、洗濯物を畳んだりしていなかったようです。
乾いて取り込んだ洗濯物をドサッと山にして、必要な物をそこから引っ張り出していたとか。
それなのに、私にはいちいち注文がつきました。
気に入らないなら自分で畳め!
そう言いたい気持ちがあっても怖くて言えませんでした。
畳んだ洗濯物を置く場所もです。
一度ものすごく怖い顔で「ここは床の間だから洗濯物なんか置かないで!」ときつく注意されました。
言わせてもらうと、そこは床の間じゃありませんから!!
リビングと並んで和室がありました。
この家を建てた時に流行していたスタイルだと思います。仕切りを全開にするとリビングと和室が一体化して広く使えます。
引越した当初はいつも全開で広々と使っていたのが、いつの間にか義父母が占拠するようになり、次第にわけのわからぬ荷物が積み上がっていきました。その和室の半間サイズの押し入れ横にちょっとした飾り棚があります。
飾り棚といっても棚になってるだけで、それこそお花や置物があったのはどれほどの期間もありません。とにかく、リビング横の和室は義父母の荷物部屋に変わっていきました。だから、畳んだ洗濯物はそこの棚に置いたんです。
だれがみても納戸と見紛うような部屋の腰高の棚に畳んだ洗濯物を置いたら、床の間だから置くなと怒られたわけです。
ちなみに義父母の部屋は8畳と6畳の二間続きに縁側のある部屋が別にあります。義父がなくなった今は義母ひとりで使ってるんです。
干し方、畳み方、時に洗い方まで口を出すくらいなら自分でやれ!
いつも思っていながら、言えずに回し続けた洗濯機。
それが、ボロキッチンの完成とともに解放されました。
私の洗濯機は外ですけど、諸事情で夜干し部屋干しですけど。
店が休みの日は、思いっきりお日様に当てて大きな洗濯物はすませたいんです。
それなのに、なぜか同じ日に大物ばかり夜が空けたかわからないうちから干してしまう義母。
年中休みなんだから、なにも私が休みの日に大物ばかり洗濯して洗濯棹を占拠することないじゃないですか!
実の娘(小姑)らからも天然を超えた宇宙人と言われる義母ですから、意図はないと思われます。
だけど、雨の日、台風が来るかもの日、私が休みで日頃の洗濯物をやっつけたい日、そんな日に限って・・・。
しかもです、この頃はなんでもかんでも棹に通して干すようになりました。
ズボンやTシャツもハンガーを使わず、全部、棹に通してます。サザエさんちのように。
私の干場がないじゃないの!!(怒)
でっかいパンツのクロッチ部分を棹に通して
3枚、4枚、
うげぇー、信じられない!!
風で、全部、
こっちの洗濯物に覆い被さって来るんですけど。(泣)
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無題