大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
最悪です。
布団を干そうと階段を上りかけたら人の気配、上りきった踊り場に義母が立っていました。
なんで気をつけなかったんだろうか!
自分で自分を責めました、慎重さが足りなかった、もっと気配を察するべきでした。
後悔先に立たずで、すでに階段に足を掛けているのに引き返すのは不自然すぎます。
仕方なく急いで上りきった先で「お先にすみません」と小声で言って用もないのに一番近い長男の部屋へ飛び込みました。
階段途中ですれ違うのにはあまり余裕がないものの、真上でじっと佇んでいられるのも気持ちの良いものではありません。
今の冷戦状態でなければ、待っててくれたとなるのでしょうか。
このところ、気配を感じさせないことが度々ある義母。
以前はドスドスと歩き、ドアをバタンと大きな音を立てていたのに。少しずつ痩せて歩き方もすり足に近くなってきました。
頑強な義母といえども老いは避けられない現実です。
でも、待って待って待った結果、怪我や病気にでも見舞われたら元もこうもなく今の希望してるところへは入れません。
元気でないと困るけど、いつまで?と相反する気持ちの矛盾が渦まいてます。

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いつまでこんな生活が続くのだろうと、ふと振り返って数えてみました。
実家で過ごしたのは十八年間です。
ちょっと待って!
嫌だ嫌だと言いながらその二倍もの年月を同居に費やしてることに気づきました。
私自身も息子たちと一緒に暮らした時間は十八年です。
悔しいことに義母だって孫である息子たちと十八年間、同じ屋根の下ですごしてきました。
そして息子であるマザオとは生まれてからずっと一緒に生活しているわけで、今は主夫となったマザオが義母の手となり足となり生活をフォローしています。
私だって息子たちと一緒に暮らしたと思う時があります。
同居は嫌だけど、コロナ禍もあってずっと会えていないからかもしれないです。
でも、いざとなったら洗面所のないボロキッチン部屋と義母に気疲れし精神的に滅入るんですけどね。
もういい加減にその気楽な生活を譲ってもらえませんか。
サ高住に入ったとしても自由で気ままな生活じゃないですか。
なんで私だけ散々こき使われて肩身の狭い思いをし、息を潜めた生活なんですか。
あっという間にまた寒い季節がやってきます。

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