大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
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結局、二人の小姑はそれぞれ離婚を経験しました。
それって、この家の血と言いますか、あの義母に育てられた我ままな性格が原因のような気もします。
不幸中の幸いは先の出戻りが居たために、一人はアパート暮らしを選択したことです。
ただ、一人暮らしに必要な諸々は義父母が用意したのでした。
つまり、店のお金が流用されたということです。
出戻り小姑が実家に来て最初の年末年始を海外で過ごそうと計画していました。
さすがにバツが悪かったのか、義母が私にまるで相談のような思わせぶりで話をしてきたことです。
「あの子、日本にいない方がいいと思うの。」
義母のセリフに呆れ果てました。「はあ?」としか言いようがなかったのですが、無言を貫きました。離婚の引っ越しの時、私を罵倒したあの勢いと独善的な振る舞いを忘れてません。
他にも、出戻りと一緒に持ち帰った婚礼ダンスをどこに置くかで揉めに揉め、これもまたとばっちりを受けました。
そんなもの捨ててしまえ!
言えるはずもなく、うちはタンスだらけです。いったい誰がいつ処分するのでしょうね。
二人の小姑の結婚と離婚、そして再婚と騒動を繰り広げ、巻き込まれ、散々な目に遭いました。
このころから、義母の孫より実の娘が最優先主義や激しい自己中が露呈したようにも感じます。
住んでる孫の部屋よりも、離婚した娘の家財を置く部屋が必要だとほざくのですから。
小姑の使った古い家具や何十年も昔のカーテン、古臭い絨毯が敷かれたそのままの部屋を子供部屋として息子らに使用許可が出たのは長男が中学生になろうかという頃です。
時々、マザオと二人、小姑らが再婚して出て行って本当に良かった!あのまま居座られたらと思うと...、そんな話をします。
本当にそうです。
異常でした。
再婚できて本当に良かったです。
そう思いながらも、何か割り切れないくすぶった気持ちは消えてはいません。

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小姑の離婚で信じられないとばっちりを受けました。
離婚が濃厚となり、共働きだった小姑は退社後は必ずうちへ寄って帰るようになっていきました。
そして私が作ったおかずを持ち帰ってくのです。
最初は義母が私の分はいいからとおかずを持たせたり、冷蔵庫の中のものを勝手に出したりしていたのですが、大人二人分のおかずに足りるはずもなく、次第に夕飯のおかずの足しとして何かしら持ち帰るのが当たり前になっていきました。
本当にいい迷惑です。
結婚して家庭を持った人のおかずまで用意しなくてはいけないなんて最悪でした。
そのうち離婚が決定的になり、出戻ってくることになりました。
子供部屋がやっとできたと思ったら出戻り!
普通ならアパートを借りるでしょうにしっかりうちへ戻ってきたのでした。
その新婚生活をしていたアパートから荷物を引き上げる時に、私が手伝わなかったと大ブーイングを浴び、挙句に義母が大噴火したのでした。
ボロキッチンを作る前の家には、私たちの寝室となってる部屋の裏側に納戸部屋があったのですが、そこの壁をぶち抜いてボロキッチンを設置したのです。
だから納戸にあったガラクタは物置や別の収納場所へ移動しました。
そこへ離婚となった小姑の荷物が持ち込まれ、置くところがないと義母が激怒したのです。
以前にもブログで書きましたけど、
部屋の外から「うちのことなのに!」「絶対に許さない!」などと金切り声をあげて怒り狂いました。娘の不幸に見境なくなってたのでしょうか。
私はボロキッチンの部屋に片隅でじっと息を潜めて嵐の過ぎ去るのを待っていました。どんなに息を潜めたところで部屋の中に私がいることをわかっているからか、いつまでも威嚇し続けた義母。
怖くてトイレも行けませんでした。
この大きな家でボロキッチンの部屋から自分たちの荷物を出していません。廊下や階段下にある収納も物置も義母のもので埋め尽くされてます。アパート住まいだった小姑たちの荷物まで引き受けてたからです。
「アパート住まいは手狭で本当にかわいそう」
義母の口癖でした。
ボロキッチン部屋はアパートの比でない狭さなのに。
面倒な同居に、再び出戻りの小姑が加わった生活が終わらないうちに、もう一人の小姑にも離婚騒動が始まっていました。

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