大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
今年の年末年始は息子家族が同時にやってくるかもしれません。
コロナの影響で帰省もままならなかったこともあってふたつの家族が同時に泊まることはありませんでした。
楽しみと同時に困ったなと思う気持ちがあるのも正直なところです。
サービス業なので年末年始は自由に休みがとれません。
くわえて、二家族分の布団!!
物質的な問題はなんとかなるでしょう。
義母がいた頃の懸念からは解放されました。
息子たちを引き止めて長々話し込む姿を見てイライラすることもありません。
義母がいるがために狭いボロキッチンと小さなダイニングテーブルで肩身の狭い思いをしながら食事することもなくなりました。
義母がいたらいまだに小姑達が集結して、
たとえ息子達が来てもここは「おとうさんの建てた家」を振りかざされたでしょう。
過去の地獄のような年末年始を思い出すだけで動悸がします。
忙しくとも、強制労働のような家政婦扱いと息子達をもてなす準備ではまったく違います。

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五十を超えた頃、年金を受給するあたりで車を降りる生活を考えないとねと言ってた気がします。
そんなライフプランが現実的に思えない。
この地域で車のない生活は無理があります。
ネットスーパーや移動販売などはありますが、何をするにも車が欠かせません。
一家に一台でなく一人一台が当たり前の地域なんです。
お金に困った時に私の車は処分しました。
維持費がバカにならないのでずいぶんと楽になりました。自分の車がなくなった不便さもすぐに慣れました。
だからといって、車がなくなった生活は想像できません。
義母と違って、子供達に頼らない生活を目指してるものの実際はどうなるのか
こうして還暦を迎えると現実がちらつきます。
マザオも以前の意見を翻してすぐには車を降りられないと言ってます。
引っ越すにしてもスーパーが徒歩圏内にあるところ、とはいえ圧倒的に物件が少ないです。
都会も視野に入れてたけど、地元を離れて知り合いのいないところで老後を過ごす不安も大きくなったりで、いろいろと考えさせられます。
息子をタクシー代わりに自由自在どこへも行く義母のような生活は望めないのです。

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