大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
出戻り小姑とともに再び大家族の生活に舞い戻った最初の日でした。
夕飯の支度をどうする?と問いかけられました。
出戻りで小さくなるどころか、夕飯の支度まで私にやらせるつもりだったのでしょうか。
この頃、ボロキッチンはあったけれど義母の反対で夕飯までは別に出来ていませんでした。
ボロキッチン完成の日に言われた「夕飯までは別にさせない!」切口上の宣言。
義母が言うには、それまでの私の家事ぶりを見ていたが食事を別々にする資格なしとのことでした。
こんな揉め事もあって、結局、ボロキッチンが出来てからも完全に義家族の食事の支度を切り離すことが出来ませんでした。
唯一の心の拠り所ボロキッチンで夕飯を作り、義母のダイニングへ運んでいました。
夕飯の支度前に義母側から食器を持ち込み、狭いキッチンで食事に支度をし、皿に盛り付けラップをして届ける、そんな生活を何年したかしら。
出戻り小姑は便乗して夕飯にありつこうとしたのでしょうか。
真っ平御免です。
ボロキッチンの効用はやはり大きかったのです。
籠城しても水が出る、子供達の食事に困らない、環境が整ったからこそ少しずつ強くなっていった私。
食事は別々の方がお互い気楽でしょう?
私にとって一世一代の度胸を決めた発言でした。
小姑が出戻ったことで嫌ことは山ほどあったけど、三食別々になったことはとても大きな変化でした。
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