大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
国立大前期受験の1日目が終りましたね。
受験生の皆さん、お疲れさまでした。
受験はドラマ、そんな言葉がよく聞かれます。
過去を振り返って、本当にそうだとつくづく思います。
子供の教育費ってものすごく掛かりますよね?
うちの経済力では私立なんてとんでもないことでした。高校無償化は下の子が卒業した翌年から施行されましたし。(涙)
ふたりの子を大学まで行かせるために、家業の合間を縫ってなりふりかまわず働きました。内職やポスティング、農家の早朝仕事のお手伝い、委託の国勢調査員などいろいろやったなあ。
上の子が中学生の時、周りの子はみんな学習塾へ行っていました。なにげに月謝はいくらなのか聞いてみたら、2万3万は当たり前。中3になると、なんだかんだで5万円!クラクラしました。
みんなが普通に塾へ行かせられることにも、やっぱり最強の貧乏だなとがっくりもしました。5万円ってマザオの最高月給の30%じゃないの!
上の子は月謝の安い個人塾を見つけて通いましたが、希望の公立は落ちました。
塾云々よりも、受験当日はタミフルで高熱を抑えての受験だったのです。
受験もいよいよ佳境という頃に入院中の義父が何度か危ない状態になり、インフルエンザが猛威を振るう中、何度も病院へ行ったのです。致し方のないこととはいえ、私の気持ちはものすごく葛藤し、子供の受験の方が大事と思う自分に「人としてどうなの?」と自問したりもしました。
義父が不在になった分、店の切り盛りも任されて家の中は荒れ放題、コンビニ弁当やインスタントの食事もしょっちゅう、本当にダメな母親でした。
だから不合格になった時は涙がとまりませんでした。それに私立高校へ進学する費用にも頭が痛くて。
「大学受験でリベンジする」と言って不本意な高校へ入学した子供。
その子がセンター試験を迎える年のお正月。
あれほどお願いしてあったのに、小姑家族が集結して深夜まで笑い声が絶えず、小正月には義母の親戚一同が集まって大騒ぎ。はらわたが煮えくり返りそうでした。
後日になって、すっかり忘れていて申し訳なかったと謝りにきた義母。
孫の大学受験を忘れた?
ぼけてんじゃねーぞ!!(怒MAX)
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