大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
今でこそ、私が義母に腹を立てても怒られることはありませんが、以前は真逆、何かにつけて怒られるのは私でした。
思い返しても悔しいことばかりです。
自分の意見をしっかり言えずに言われるがままだったことも義母や小姑たちを増長させたのでしょう。でも、怖くてとても言えませんでした。
何もかも押し込んで我慢していれば、とりあえずの平穏は保たれたように感じていたのです。
今になって、いろんな場面で思い出しては歯ぎしりする思いです。
電話もそう...
今朝も大きな声で長々と電話しています。
今は家の電話代がかさむわけではないので、知ったこっちゃないといえばそうなのですけど、義母がかつて私に放ったセリフをぶん投げてやりたいです。
生活していく上で何かしらの役員を担うのは仕方のないことです。
特に私のような立場ですと、時間の都合がつくように思われがちで、地元の商売屋の嫁の立場からも断りきれないことがまま、ありました。
子供会、PTA、自治会と、何かしらの役割りが回ってきて、役員でなくてもゴミ当番、登下校の見守り番、草刈り、他にもお祭りや運動会と年中行事が多い田舎暮らしです。
当然、電話だって増えます。今と違ってメールで一斉送信なんてできなかったし、そもそも携帯のない時代です。
そんな電話に全くの無駄話がなかったとは言えませんが、電話が多すぎると何度も言われました。
私だって電話したくて掛けてるわけじゃないのに。
連絡網が回ってきて食事の支度をしながら電話していたら、電話しながらなんて心がこもってないと怒られました。
だったら自分の食い扶持くらい自分でやれ!
非常識だとも言われました。
非常識はどっちよ!!(怒)
義母が電話してるのを嗅ぎつけるとあのシーンがまざまざと蘇り、罵り返したくなるのです。

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雨予報の日に洗濯物を大量に干したりするのは新聞がないせいでしょうか。
ひどい時には布団を干して出掛け、案の定土砂降りにやられるなんてこともありました。
そうであったと仮定しても、長年主婦を自認してきたくせに空模様で判断できないものでしょうか。
確かに、我が家には新聞もテレビもない時代がありました。
この現代において、お金がないから新聞もテレビがない家なんてあるのでしょうか。親しい友達にも恥ずかしくてとても言えませんでした。
ボロキッチンができて、完全同居から脱却できてすぐに新聞も取り始めました。
あちら側へ行って新聞を読むことができなかったからです。
年月が経ち、ますます経営が悪化し、生活のためにありとあらゆるものを売りました。
お恥ずかしながら結婚指輪まで。プラチナだったので自分が持っていた金のネックレスと一緒に値をつけてもらいました。
そんな生活苦の中で新聞など真っ先にやめる対象となりました。
そのうち地デジ化が始まり、とうとうテレビもただの箱になりました。
仕事でパソコンを使っていたので、世の中のニュースはパソコンで?
こんな状態だったのに、義母はスクラップ帳を作るのが楽しみだと言って新聞をやめることを拒みました。自分で払うと言いながら、最後まで新聞代を徴収できませんでした。
年金がある義母はテレビくらい買えたはずです。
新聞代など取るに足らない出費でしょうに!
店をたたんでから契約が決まるまでの究極の貧困生活の中、とうとう私の独断で勝手に新聞をやめました。新聞があろうがなかろうが、天気の悪い日に洗濯物を干す異常さは変わりません。
とうの昔からそんな人ですから。
だいたいスクラップ帳なんて作っていませんから。
気に入った記事を見つけるとその紙面を抜き取って無造作に折りたたんで重ねてくだけ。端から見たらゴミにしか見えません。
その他、昨日書いたようなアラ隠しに新聞紙が活躍してました。
そんな義母のわがままのために毎月新聞代を払ってた過去が恨めしい!

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