大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
昨日、お風呂に入りながら息子のことを考えてたら急にあの日がフラッシュバックしてきました。
上靴を風呂場で洗って汚いと言われました。
じゃあどこで洗えばいいのでしょうね?
今となれば、あの時、そんな理不尽なことを言われたのなら毎日のように靴を風呂場で洗ってやれば良かった!とさえ思ってしまいます。
あの頃の私は何も言い返すことができませんでした。
謝らないことが精一杯の抵抗でした。
家は大きくても私たちのテリトリーは狭いです。
洗面所も洗面ボールが二つ並んだ広い設計ですが、当時の小姑らのためのものであって汚れ物や靴を洗うような深型の洗い場はありません。
トイレ、お風呂も共有です。
息子たちには靴は自分で洗うように躾けてきました。
お風呂に入った時に風呂場で洗わせていました。そのまま風呂場で水切りのため置いておき、私が入った時に必要があれば洗い直してから外へ干していました。
ある時、どこの家庭でもあると思いますけど、息子が日曜日の夜になって上靴を洗ってないと騒ぎ出しました。あいにくの空模様で外干しができませんし乾くかどうかも微妙なところでした。
何かで風呂場のフタの上に逆さまにして置いておくと乾くとあったような気がして、皆が入ったことを確認した夜中に、上靴に新聞紙を詰めてから上下逆さまに風呂場のフタの上に置きました。
前にも何度か書いたことがありますが、義母は光熱費など全く考慮しない自由気ままな生活です。
今でこそあまりしなくなりましたが、頻繁に朝風呂にも入ってました。
運悪く、その日も...
でも、義母が理不尽なことで怒って出てきたおかげで上靴が濡れずに済みました。
乾かしてるのを承知でシャワーを浴びかねませんから。
フタの上に上靴があるのがよほど気に触ったのか、日頃から風呂場で靴を洗われて気分が悪かったとまで言われました。
さすがに、万能選手のボロキッチンで靴は洗えません。
洗顔に歯みがき、時に洗髪も、さらに習字の筆や絵の具の道具、果ては室内掃除の雑巾まで、なんでもボロキッチンでやってきましたが、靴は無理です。
外で洗えっていうんでしょうか!

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結局、二人の小姑はそれぞれ離婚を経験しました。
それって、この家の血と言いますか、あの義母に育てられた我ままな性格が原因のような気もします。
不幸中の幸いは先の出戻りが居たために、一人はアパート暮らしを選択したことです。
ただ、一人暮らしに必要な諸々は義父母が用意したのでした。
つまり、店のお金が流用されたということです。
出戻り小姑が実家に来て最初の年末年始を海外で過ごそうと計画していました。
さすがにバツが悪かったのか、義母が私にまるで相談のような思わせぶりで話をしてきたことです。
「あの子、日本にいない方がいいと思うの。」
義母のセリフに呆れ果てました。「はあ?」としか言いようがなかったのですが、無言を貫きました。離婚の引っ越しの時、私を罵倒したあの勢いと独善的な振る舞いを忘れてません。
他にも、出戻りと一緒に持ち帰った婚礼ダンスをどこに置くかで揉めに揉め、これもまたとばっちりを受けました。
そんなもの捨ててしまえ!
言えるはずもなく、うちはタンスだらけです。いったい誰がいつ処分するのでしょうね。
二人の小姑の結婚と離婚、そして再婚と騒動を繰り広げ、巻き込まれ、散々な目に遭いました。
このころから、義母の孫より実の娘が最優先主義や激しい自己中が露呈したようにも感じます。
住んでる孫の部屋よりも、離婚した娘の家財を置く部屋が必要だとほざくのですから。
小姑の使った古い家具や何十年も昔のカーテン、古臭い絨毯が敷かれたそのままの部屋を子供部屋として息子らに使用許可が出たのは長男が中学生になろうかという頃です。
時々、マザオと二人、小姑らが再婚して出て行って本当に良かった!あのまま居座られたらと思うと...、そんな話をします。
本当にそうです。
異常でした。
再婚できて本当に良かったです。
そう思いながらも、何か割り切れないくすぶった気持ちは消えてはいません。

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