大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
ブラックフォーマルを新調して、いろんな意味で早く着たいものだと思う私です。
結婚した時、私は喪服を持ってきませんでした。
義母と違って倹約家の義父が、今は必要ないと言ったからでした。
着物が入るタイプの和ダンスも持参しませんでしたし。
時代は変わって、礼服で済ませる方も多くなりました。
あの時、妊婦だった私は大急ぎで礼服を買いに行ったのでした。
披露宴として親しい友人数名と家族だけを呼んだ料亭で、うろついていた老婆がいました。
なんでこんなところに変なおばあさんがいるんだろうと思っていましたが、義父の遠縁の人でした。
義父は早くに両親を亡くし、このおばあさんに世話になったことがあるようでしたが、この時は施設に入っていたのでした。
私はこの事をまったく聞かされておらず、おばあさんの存在すら知らなかったので、マザオに近づいてきてご祝儀袋を押し付けたことに面食らい驚くばかりでした。
その後、数年は関わることもなくすっかり忘れていました。
この家を新築し引っ越してきてから、義母はこのおばあさんを時々、施設から自宅に招き入れるようになりました。
まだ介護という言葉がそれほど世間に広がっていなかったのではないかと思います。
一ヶ月に一度くらいのペースでしたから介護というのもおこがましいですが、突然降ってわいたように見知らぬおばあさんの世話を任されて、私は疲弊していきました。
幼い長男を抱えて、ただでさえ大変な毎日に、粗相もしてしまう見知らぬおばあさんと日中を過ごすのは苦痛しかありません。
施設にいい顔をしておばあさんを連れてくる義母は送迎だけなのですから。
「今回は二泊で」
いとも簡単に一泊を二泊されたり...
おばあさんではなく、義母が変更するのです。私の都合も聞かずに!
「おばあさんを引き取ろうと思ってるの!」
突然の宣言にめまいがしました。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

PR
長い付き合いの友人から旅行に誘われました。
二つ返事でOKしたいところですが、お金のことを考えてしまいます。
そう言いながらすでに気持ちはゴーサインを出しているのですけど。
長い間、迷ったあげく我慢した結果が散々だったことを思えば、今こそ自分の気持ちの思うがままに進んでいきたいと思ってます。
大げさですけど、ここでも我慢して、未来は明日さえも保証されてるわけではないから一泊二日の旅行くらいいいじゃない!そんな気持ちです。
結婚してからはデパートへ出かけるのも義母の目を気にしていた私です。デパ地下の紙袋さえ、一旦車の中へ残して様子を伺って取り出すという始末でした。
そのうち、お金も無くなってデパートなど十数年も遠ざかって繁華街は浦島太郎の世界でした。
まだ独身時代の貯金があった頃、子供が小さくて家計がそれほど逼迫してなかった頃も出掛けるという行為自体が気疲れしました。
玄関で必ずと言っていいほど見つかるのです。
普段着がジーンズと白シャツと毎日、制服のように同じ格好をしてる私が、少し違う服を着てるとどこへ行くのか尋問が始まります。
それがとても嫌でした。
「どこ行くの?」
余計なお世話です。
ちょっと買い物へ
友達のところへ
言い繕っても場所や帰宅時間を聞かれてうんざりです。
一度、それで揉めたことがありました。
出掛けようとしたら義母検問に引っかかったのです。
毎度毎度うざすぎてマザオに愚痴ったのが発端でした。
マザオに言ったって解決しないことはとっくに学んでいたのに。
でも心の澱をすぐに取り除きたいと思ったら、一番身近で私の境遇をよく知るマザオにしか吐くところがありません。
「自由にさせてやってるのに何が不満なの!?」
こんな言葉を吐き捨てられました。
は?
自由って姑から「させてもらう」ものなの?
冗談じゃないわ!!(怒)

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
