大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
お葬式の話が出てきたので...
義母が貯金をしていないことは再三ここにも書いてきましたが、実はお葬式代は別に取り置いてあるのです。
過去、どうにもならなくなって息子の学資保険まで解約したことがありましたが、そんな時でも死守した義母の葬式代。
あほらしいにもほどがありますが、いろいろ事情があってのことです。
義父が病に倒れ余命宣告された時、うちのお金の管理は私がやるようにと義父から直々に頼まれたのでした。当時は嫁に出たにもかかわらずまだ経理を握って離さない小姑の存在もあって、お金に絡むことは引き受けられないと断ったのですが、義父は義母へ渡したら破産すると心配しきりでした。
店の経理と親の年金管理まで牛耳って、その上、あちこちに保険をかけまくってた小姑ですが、保険金請求となるとこれが全く役立たずでした。
義父の入院通院にも保険金が下りる日数の区切りがあって、わずか数日の違いで雲泥の差が出たのです。自営業って家族が一人倒れれば共倒れです。
義父の突然のリタイアに店は一時休業となり支払うべきものも支払えず請求書だけはどんどん来て、お先真っ暗な状況でした。
なんとか収入を得なければと思っても自営の悲しさです。
そんな中、保険の約款をよくよく読んだら打つ手が見えてきたのです。
私は約款を持って義父の主治医のもとへ相談に行きました。
その先生はうちの事情を汲んでくださり、入退院のスケジュールをこちらの都合に合わせてくれたのです。私を引き連れ、義父への説明もしてくれました。
義父だって自分が倒れて家がどうなるか、店が成り立たなくて生活はどうなるのか、心配に決まってます。自分の入退院を少し調整すれば随分と助かることがわかって、それを主治医の先生が主導してくださることで少しの安心が得られたはずです。
金銭感覚がぶっ飛んでる義母には、守銭奴の私がやることなんて理解できなかったみたいですけどね。(義母は貯金にこだわる私を守銭奴だと言ったのです。)
家より、店より、何よりも私には息子たちの生活を何とかしなければなりませんでしたから。
なりふり構わずやれることはやらなければなりませんでした。
保険が下りたところでどうにかなるような困窮ぶりではなかったのですが、随分と助かったのは事実です。
そして、次は滞納し始めた住宅ローンを何とかしなければなりませんでした。

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今思うと、何で私がやらなきゃならないんだ!どうして首を突っ込んだんだ!と自分自身にも腹が立つことばかりです。
そんな反面、おかげさまで反撃が始まった今は事あるごとに過去の数々が私の武器になっているのですけど。昨日の夕飯でも、過去の義母らの言動を一つ取り上げるだけで相手は撃沈ですからね。苦労した甲斐があった?のかもしれません。ばからしい話ですけど。
とりわけ台所での苦労は枚挙に暇がありません。
小姑のお弁当も毎日私が作っていたのですが、どうしてそんな事態になったのか思い出せません。
この家を建てた時、私のために台所を作ったというようなことを言われました。
どんなキッチンがいいかなんて何も聞かれてないですけど。
ビルトインのガスオーブンは小姑の希望ですし、白い大理石調の収納は義母の選択ですし。
そういえば、調理台の高さを決める時に私に合わせたと言われたような気がします。
これが後々、「あなたに合わせたあなたのキッチンなのだから」と炊事と掃除の一切を任される一因になるなんて思ってもなかったのですが。
一度、お弁当は自分で作って欲しいと放棄しようと試みたことがあります。成人した小姑のお弁当を何で幼子を抱えた私が作らなきゃいけないんだと毎日思ってたから。
でも、なかなか言い出せず、やっとの思いで恐る恐る口にしたのでした。
さすがに体裁が悪かったのか、御託を並べて私を持ち上げ、お弁当代を払うと言いだしたのです。
月額2千円で。
はい?
これ小姑二人分ですよ!一人月額千円で弁当作れってことです。
たった二千円でももちろん欲しかったのですが、とても引き受ける気にはなれませんでした。私が毎朝作ってる弁当の価値が二千円と言われたことが衝撃でした。
それで義母が作ることになったのです。
当たり前です。
ところが、弁当を作ろうとした義母が冷蔵庫を開けて叫びました。
「おかずにできるものが何もないじゃない!」
「何なのこれは!」
激昂です。
義母って私から見てもお世辞にも料理上手とは言えません。
かまぼこと鶏ひき肉が欲しかったようで、それがないから弁当は作れないと放り出しておしまいでした。最初から作る気がなかったんでしょうね。
結局、ボロキッチンができるまで私の理不尽なお弁当作りは続いたのでした。(怒)

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