大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
当たり前のものを当たり前に「買う」という行為がこわい。
日常生活に必要な物が必要以上に有り難い。
いつの時代の方ですか、と自分でも笑っちゃうくらいに普通でなかったんだなあと、今、あらためてしみじみ感じ入ってます。
私が結婚したのは二十二歳目前でした。
あれから三十年、長過ぎた春ではありませんが、やっと幸せをつかみました。
この普通の生活が長続きするように、奢る事なく普通の生活を楽しみたいと思ってます。
この三十年を駆け足で振り返ってみたいと思います。
重複した話がちょくちょく出て来るかもしれませんが、ご了承くださいね。
別居のはずだった新婚生活は、義母の先走った改装によって同居に変わりました。
そこできっぱり宣言していたら、こんな苦労はしなくて良かったかもしれません。
でも言えませんでした。
同居で与えられた部屋は六畳間二つでした。
古い家で家族の居間と私たちの部屋は引き戸で繋がっていました。
奥の部屋を寝室にして、居間とくっついている部屋を自分たちのリビングに見立てました。
家族の居間にテレビがあって、始終誰かが居るのでした。壁一枚隔てただけの自分たちの部屋で新婚の嫁がくつろげるか想像してみてください。
音楽を掛けるのも、自分たちの小さなテレビをつけるのも遠慮がありました。最初はイヤホンを使っていたのですが、そのうち音楽を聴く事もテレビをつけることもなくなりました。
コンコンとノックと同時に「居るー?」と引き戸を開ける義家の人間には、遠慮とかプライバシーなど存在しないようでした。
もっとも、家事に追われてくつろぐ時間などありませんでしたが。
家政婦業どころか、新婚旅行から帰った翌日からバリバリ店三昧でしたし。
結婚三日目にして失望というか絶望というか、結婚ってこんなものなの?と泣きたくなったのでした。
読み返したら、悲壮感が漂っていますが、今の私は元気はつらつです。
よく我慢したなあ、今までのご褒美にこれから思いっきり散財しよっと!と思っています。まだまだ借金がどーんと残っていますけどね。(笑)

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他の方の嫁姑ブログを読んでいて、思い出しました。
それにしても、同居ってこんなに問題が多いのになぜ姑世代は同居したがるのでしょうか。
私たち同居嫁に聞くとまず同居を望んでいません、それは親世代とも子世代とも。
姑世代だって同居で苦しんだ人はたくさんいるはずです。
別居の人だってそんな話を見聞きしていると思うんですけど、なぜ?
経済的問題だとしても、後々出て行くパターンだって多いですよね。
不思議です。
不思議といえば、私がなぜ別居に踏み切らなかったか疑問に思う方も多々いるようですね。
それは自営業だったからです。
嫁に来たときから、お金の管理は外へ出ず家にはびこっていた小姑がすべて管理していたからです。
とても別居して暮らせるお給料ではありませんでした。
私は結婚前に働いていた会社はやめてしまったし、店を手伝うことになっていたので外へは出れませんでした。
もし、実家が健在だったら逃げ帰っていたかもしれないですね。
実父が病に倒れ余命宣告された中、パートの実母が仕事を掛け持ちして、実家も大変なときでした。私が出戻る事で心配や迷惑を掛けたくなかったんです。
マザオも私も高卒です。
結婚して数年後、生活が苦しく自営脱却を密かに試みたことがありました。
ここはどうだろうと思える仕事はすべて大卒者を希望していました。
だから、まだ幼かったけど子供達には大学へ進学して選択肢を広げさせてあげたいと思っていました。
となれば、なおのこと別居は出来ませんでした。
大学資金を貯めなくちゃ!
もしも本人が進学を希望しなくてもまとまったお金が要らないなんてことはあるはずがないですもんね。
結果、自転車操業の店につぎ込む形でなくなってしまい、子供達には奨学金、私たちには教育ローンという大きな借金が出来たのですが。
でもいいんです。(良くはないけど)
今から挽回するんです。
子供達の奨学金も私たち夫婦が返済してあげたい!
こんな私を、財産狙いの嫁ではないかと義母へ忠告した人がいたようです。
「私はそんなこと思ってないから」
これ、当時の義母のドヤ顔発言です。
面と向かって言われました。

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