大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
実母が入院した事を義母へは伝えません。
騒ぐだけでうるさいから。
もし伝えたなら、一応は心配してくれます。
そういうところはいじわるな性格ではありませんが、天然というか、理解出来ない言動をするのが義母です。
過去のいろんなことを必ず思い出して嫌な気持ちになります。
それは必ずお金が絡んでいます。
なんでもかんでも計算するものではない、とわかっています。
私の実家で冠婚葬祭があると、義母は必ず聞きます。
「いくら出せばいいの?」
普通はそんなこと聞かないと思います。
それとも身内ではざっくばらんに聞くものですか。
それは私の兄弟の結婚の時もそうでした。
自分の娘の結婚した時に、私の実家が出したお祝いと同じくらいでいいではないですか。
でも、私の本音は違います。
小姑ふたりともが離婚して再婚しています。
四回もお祝い金を渡しています。
その金額から考えて決めたらいいのではないですか。
実家へのお祝い金を、執拗に「いくら出せば良いの?」と聞かれてもどう答えていいのかわかりません。
当時の私は心身共にぼろぼろで、どんなに辛くても黙って従うのが一番得策だと思い込んでたのです。そんな私にいくら欲しいと聞かれても答えに窮するだけです。
気持ちだけで結構です、こんなようなことを言ったと思います。
怒り出した義母は「ちゃんと言わなきゃわからないじゃない!」、怒り出しました。
一緒でいいんじゃないですか?
そんな風に答えたと思います。
私は小姑の再婚時のお祝いに実家が五万円用意したことを知っていましたが、初婚の時にはその倍でした。
義家からのお祝いは五万円でした。
なにかにつけてこの調子ですから嫌になります。
ケチケチばばあとはお金の話はしたくありません。
実母だって入院してるところへ義母がのこのこ来たらおちおち寝てもいられないでしょう。
だから言いません。
今なら「いくら?」と聞かれたら
三十万ならおあいこ!
一回につきというなら十五万円でどうでしょうか?
言ってみたい気がします。

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嫁に来た私はいつまで経っても他人、ここではアウェイです。
そして、嫁に行った小姑はいつまで経っても娘、実家は自分の家なのです。
ゴールデンウィークですね。
商売をしていたこともあって、連休に実家に帰ったことなどありません。
でも、小姑は当たり前のように帰って来ていました。
店が忙しく、連休は仕事でした。子供達もどこへも行かず高校生になれば休みは家業を手伝うのが当たり前のような環境でした。
小姑らは、そんな実家を恨みがましく「自営は嫌だ、大変だ」と言っていたのに、嫁に行ったら連休は当たり前の様に遊びに来るのでした。
そんな実家大好きの小姑ら、結婚してもしばらくはここに住んでいるかの様な振る舞いに翻弄されたのでした。
非常識、私の中ではそういう括りです。
私に指図することと、自分たちの言動にこれほど矛盾があるのに、よくも平気な顔で・・・。
この家の庭は無駄に広いです。
庭の半分以上は芝生なのですが、その管理は私一人に任せられてました。
「この家に長く住む主婦がやるべき」
小姑の鶴の一声で、私がやるものだと決定付けられました。
でもね、今現在も健在の義母はどうなの!?
なんにもやらないってどういうことですか!
ここで叫んでもどうにもならないのですが、やっぱり血圧があがります。
話を戻します。
小姑らは結婚してからも、実家のことにことごとく口を挟んでかき回して来ました。
小姑らが使っていた部屋を子供達に与えようとした時も、里帰りする部屋がなくなると言って使わせてもらえませんでした。
部屋数だけはあるこの家で、長男が小学五年までボロキッチンのある自室に親子4人暮らしていました。夜は布団を敷くともう床は見えません。照明器具を布で覆って寝かせてました。
こういう状態だったのに、嫁に行って部屋が空いてるのに里帰りの部屋がないとか...
嫌がらせとしか思えませんでした。
そうこうしているうちにバツイチとなった小姑ですが、出戻りの際に一緒に運び込んだ婚礼箪笥を置く場所ですったもんだしたのです。
もうひとりのの小姑までしゃしゃり出て来て、この部屋は置いたらダメ、ここへ置けばいい、とあれこれ指図しはじめ揉めに揉めたのでした。
その箪笥、いまだうちにあるんですけど。
出戻りのくせに図々しい!!
そんな権限ないし!!

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