大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
「名付け親」
この言葉を調べてみたら、「昔は主に母方の祖父が命名した」とありました。
ということは、私たち夫婦の子供は私の実父が命名するってことですよね。
実父はもちろん、実家自体が完全に蚊帳の外でしたから!
調べたら余計にムカついてしまいました。
記事の名付けの件とは関係ないんですけど、今日もまた義母の腹立たしい行動に我慢出来ず、マザオに当たり散らしてしまいました。
普段はなるべく私側についているマザオも母親の悪口を言われるのは気分がよくないはずです。わかっていても私の怒りの納めどころが見つからず、あれもこれもと山のような不満が溢れ出ました。
マザオの顔も不満でいっぱいです。
「よく言っておくから」と義母の代弁で謝りつつ、「もう歳だから」「悪気はないから許してやって」と庇うことを忘れません。
それが余計に腹立たしいんです!!
それが余計に昔のあれこれを思い出させます!!
生まれて来る赤ちゃんの名前は私たち夫婦がつけることになっていて、名付けの本を何冊か用意してどの名前がいいか毎日考え、いくつかの候補を決めてありました。
ところが、生まれた子が男の子だとわかった途端に自分が名付け親になる!と宣言した義父。
最初、マザオは軽く考えていたようでした。
義父の提案は適当に聞き流して、最後は私たち夫婦が考えた名前にもって行けばいいと・・。
事はそんなに簡単に運びませんでした。
強情、頑な、意固地、こんな表現以外にどう言うのでしょうか。
私たちが、こんな名前が良いというものは頭ごなしに却下です。
画数が最高とか、この字は最強とか、いろいろ良い名前だというものをアピールしたり本を見せたりしましたが全部ダメ!
義父の提案する名前といえば、頭を抱えるような「どこからそんな発想が?」な名前ばかり。
しまいには武将じゃないし!みたいな名前だし。
毎日毎晩、喧嘩もんかで大揉めでした。
私はストレスで出の良かった母乳が止まってしまいました。ただでさえ産後の体で寝不足だというのに、義父が帰宅する深夜に協議が始まるのです。いいえ、協議でなく喧嘩です。
自分たち(義父母)は自分の子ら(マザオや小姑ら)に自由に好き勝手に名付けしたのに、口を出すな!
マザオの抗議に火に油を注いだように怒り出した義父、赤ん坊の母親である私にむかって「関係ない」「寝不足なら寝てろ」と暴言を吐いて、名付け親を譲ろうとはしませんでした。
我が子の名前を決めるのに「引っ込め」と言われた私、絶対許さない!
産後2週間以内に役所に名前を出さないと赤い判で「名無し」と押されるそうですね。
それだけは避けなければなりません。戸籍にそんな判子を押させるわけにいかないですから。
今日が最終日という日のお昼にマザオが届け出に行きました。
私は忘れません。
どうにもならない中で、渋々、嫌々、義父の並べた名前の中で一番マシだと思えるものを選びました。
届け出を済ませたしばらく後、マザオがぽつんと言いました。
「同級生で、勉強も運動もダメ、クラスで浮いてたヤツと同じ名前だから本当はイヤだった。」
最終的に選んだのは私でした。
「これが一番妥協できるかも」という名前・・・
マザオは2週間に渡るゴタゴタで憔悴し切ってる私に最終選択権を譲ったのでした。
譲るもなにも、自分の親の仕業でこんなことになってしまったのですから。
あの忌まわしい名付け事件から十年後、小姑の長男が誕生しました。
私が一番の候補にあげていた名前は
里帰り出産の小姑が決めた名前と同じ!
義父母がけなし却下した名前!!
あの騒動はなんだったんでしょう・・・(マジ切れ)

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マザオと私の間に生まれた最初の子は、両家にとって初孫でした。
その初孫、初産なのに里帰り出産させてもらえなかった話は以前書きました。
この子をめぐっては、本当にいろんなことがありました。
私の妊娠がわかった時、義父母から「おめでとう」と言われませんでした。
出産予定日が店の繁盛期と重なってしまったからです。
ですが、まだかまだかと矢のような催促をし続けたのは義父母です。
しかも「跡取り」という当時でさえ時代錯誤のような要望まで。
結婚当初は、いえ、結婚を決めた頃は別居のはずだったので1,2年はふたりで新婚生活を楽しみたいと考えていました。
あれよあれよという間に同居になって、夢も希望もない生活が待ってたんですけどね。
朝から晩までみっちり家政婦に加え、昼間は店を手伝いに出てましたから、もうヘトヘトです。
ですから、理由の違いはあれど子供なんて考えられませんでした。
それが、矢の催促です。
顔を合わせる度に「まだか」
そのうち不妊症検査へ行けとまでいわれるようになりました。ストレスは妊娠の大敵だって知らないヤツらです。
やっと?
いいえ、そろそろかなと観念しての妊娠でした。
何かの本で、義両親には夫から伝えるのが良い、みたいなことが書いてあったのでマザオが報告したんです。
思いっきり怒られました。
私自身が自分の口でなぜ言わないのかと。
そこまで言われなくちゃいけない?ってくらい、常識はずれだと言われました。
義母は、「臨月まで働くでしょ?」が最初のセリフでした。
店には出るんでしょうね?みたいな、自分は産休が取れるまで働いたと言い出し「おめでとう」とは一言もなかったです。
フン、産休って、同居でなかった義母は、それどころか義父の両親は早くに他界して煩わしいことなんてなかったじゃないですか!
そして出産予定日を聞いて、「また忙しい時に・・・」とつぶやいたあと絶句されました。
男尊女卑が横行していた昔、嫁は子孫繁栄の道具として役に立たなければ離縁された・・・
まだかまだかと催促していないで、産まないなら出てってくれと離婚されてたら・・・
私の人生、もっとバラ色だったかも!?
妊娠だけでこの有様
生まれたらどうなるのか
もっと機知に動くべきでした。
我が子の名前も付けられなかった
自分が疎ましい!!

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その初孫、初産なのに里帰り出産させてもらえなかった話は以前書きました。
この子をめぐっては、本当にいろんなことがありました。
私の妊娠がわかった時、義父母から「おめでとう」と言われませんでした。
出産予定日が店の繁盛期と重なってしまったからです。
ですが、まだかまだかと矢のような催促をし続けたのは義父母です。
しかも「跡取り」という当時でさえ時代錯誤のような要望まで。
結婚当初は、いえ、結婚を決めた頃は別居のはずだったので1,2年はふたりで新婚生活を楽しみたいと考えていました。
あれよあれよという間に同居になって、夢も希望もない生活が待ってたんですけどね。
朝から晩までみっちり家政婦に加え、昼間は店を手伝いに出てましたから、もうヘトヘトです。
ですから、理由の違いはあれど子供なんて考えられませんでした。
それが、矢の催促です。
顔を合わせる度に「まだか」
そのうち不妊症検査へ行けとまでいわれるようになりました。ストレスは妊娠の大敵だって知らないヤツらです。
やっと?
いいえ、そろそろかなと観念しての妊娠でした。
何かの本で、義両親には夫から伝えるのが良い、みたいなことが書いてあったのでマザオが報告したんです。
思いっきり怒られました。
私自身が自分の口でなぜ言わないのかと。
そこまで言われなくちゃいけない?ってくらい、常識はずれだと言われました。
義母は、「臨月まで働くでしょ?」が最初のセリフでした。
店には出るんでしょうね?みたいな、自分は産休が取れるまで働いたと言い出し「おめでとう」とは一言もなかったです。
フン、産休って、同居でなかった義母は、それどころか義父の両親は早くに他界して煩わしいことなんてなかったじゃないですか!
そして出産予定日を聞いて、「また忙しい時に・・・」とつぶやいたあと絶句されました。
男尊女卑が横行していた昔、嫁は子孫繁栄の道具として役に立たなければ離縁された・・・
まだかまだかと催促していないで、産まないなら出てってくれと離婚されてたら・・・
私の人生、もっとバラ色だったかも!?
妊娠だけでこの有様
生まれたらどうなるのか
もっと機知に動くべきでした。
我が子の名前も付けられなかった
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