大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
義父の入院と同時に、医師からの説明を聞くよう家族が呼ばれました。
数日の入院で済みそうもなく、最終検査の結果で判断が下されるまでも時間がかかりそうでした。
先のことは深く考えられないけれど、とにかく明日の営業はどうするって話になりました。
どうするもこうするも、休むほかありません。
毎日のように何かしらの支払いがあり、月末にはこれでもかというくらい請求書が来るサイクルに亀裂が生じました。
蓄えなどあるわけもなく、一気に奈落の底へ突き落とされた感じでした。
しばらくの休業が決まった翌日、マザオと私はいつも通り店へ向かいました。
伝票整理と業者さんへの連絡、告知、片付け、やらねばならないことは山積しています。
片付けにも閉口しました。
店の休憩室はまるで自宅のように義父母の私物が膨大な量でしたし、店とはいえ冷蔵庫やポットなどボロキッチンと変わらない給湯室がありました。
連絡が間に合わなかった業者さんが来るたびに説明したり、通りかかったら休みだけどと聞きに来る常連さんやご近所さん、片付けは中断の嵐で全然はかどりませんでした。
中途半端な時間に病院へも行かねばならず、てんやわんや、ぐったり疲れたのを覚えています。
根底にお金の問題が潜んでいるので先々の不安が余計に疲れを増幅させたのです。
義父も保険には入っていましたが、その手続きは全部私に丸投げされました。
唯一入ってくるお金を管理できるのは幸いでしたけど、私が家計を握ることは後々の揉め事となったのです。
人に任せておきながら文句を言うな!
だったら自分でやれ!と言いたいところですが、宵越しのお金を持たないと言い切る義母にお金を持たせたらとんでも無い事態に陥るのは明白ですから、結局は私が、猫に鈴をつける役目を引き受けざるえなかったのでした。
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