大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
店の片付けが終わっても毎日のように銀行や会計士さんの元へ行き、病院通いとてんてこ舞いでした。
医師からの指示で家族の付き添いが必要になり、義母が付き添っていたのですがここでもいつもの自己流を如何なく発揮!
病室へ持ち込むものが多すぎて、義母が持ち込んだものを持ち帰るのはマザオか私の役目でした。
お茶を飲むからと急須だけでも二つ、湯呑みは客人用もと幾つも持ち込む有様で一事が万事です。
客人って誰よ?
見舞い客の湯呑みまでセットまで置いておくスペースなどあるわけがない!
そのお見舞いに来てくださった方々の見舞金を全部使ってしまったのも義母です。
確かにお金はありませんでした。
毎日、病院で付き添いをしていれば多少の買い物は必須でしょうけど、見舞金がなくなるって...
何をどう買ったらなくなるのでしょうか!
わけのわからないご利益があるとかいう掛け軸だか彫りものだか知りませんが、騙されたとしか思えない代物を「おとうさんのために」と買ったようでした。
この頃、義母は義父の病状を何とかしようと迷走しまくったのです。
総額にしたら何十万ものお金がお返しも出来ないまま消えました。
このツケは葬儀の時にやってきます。
支離滅裂な義母の看病とお金の使い方にほとほと手を焼きました。
だけど、私は絶対に口を挟まないと心に決めてたのです。
お金のことに首を突っ込んだらろくな目に遭いませんから。
保険のこと、家計のこと、収支の管理を任されてる私は「ないものはない」で突っぱねるしか無くなっていきました。役所や銀行、保険会社へ出向き、相談したり談判したのも私でした。
義母はマイペースまっしぐらでした。
「お金は必要になると必要な分だけ入ってくるもの、執着しすぎるから逃げられる」
お金がない、支払いができないと騒ぐ私に義母が言い放った言葉です。
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