大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
職場には、
家に姑がいるから帰りたくない!という人が結構います。
そんなことを言っていない人の中にも、驚くほど早めの出勤で退勤のタイムカードを押したあと一時間も二時間も携帯をいじってロッカールームにこもってる人もいます。帰宅拒否ですかー?
「今どき」なんて言葉が飛び交う同居ですが、私の周辺ではまだまだ多いようです。
もしかしたら、結婚当初は別居でも環境の変化で同居になった人もいるのかもしれません。
当たり前ですが、みんなそれぞれに悩みはあるもの、みたいです。
その点、食事も完全に別でマザオが主夫となってる私の今の生活は、まだマシかなと思ったりもします。
以前、自営だから経理を握られているとどうにもならないと書きました。
別居したくても、お金を貯めたくても、自営という壁が立ちはだかってどうにもなりませんでした。
夫がサラリーマンなら、どうにかなると思ってました。
聞いてみるとそうでもないみたいです。
電気光熱費は当たり前、食費もうやむやで年金は全部小遣い!そんな義家族も多いのかな?
思い起こせば、社会人になった小姑らは家にびた一文入れませんでした。
義母はこの家を建ててからずーっと「お父さんの建てた家」と言い続けました。耳タコにも程があるってものです。
名義は義父でも住宅ローンは親子ローンでしたし、義父が倒れてからの生活はマザオの肩に掛かっていたも同然でした。
マザオと私は馬車馬のように働いてもただの一度の昇給もなく、最低限のお給料に甘んじてましたしね。私なんて、時給350円ですら途中でうやむやになってしまったくらいです。
だいたいね、ボロキッチン含めてこっちの部屋は私の実家が全額負担して改装したのに、なにがお父さんの建てた家だよ!
この「お父さんの建てた家」に家賃も払わず住めて有り難いでしょアピールが凄かったです。
は?
ローン分くらい軽く差っ引いたでしょ!
こっちが家賃と光熱費、貰いたいくらいだわ!!

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ボロキッチンで初めてお湯を沸かしてお茶を入れた時、水一杯飲むことさえ緊張し遠慮してることに気がつきました。
好きな時にコーヒーを飲める、夜中に喉が渇いても我慢しなくていい、そんなちっぽけな幸せに感動してました。
相変わらず、夕食は義家族分まで丸々私が作っていましたけどね。
とにかく、ほぼ徹夜だった話し合いで、台所は別にするものの当面の夕食は私が作ることになりました。
なんでそんな理不尽なことになったのかよく覚えていませんが、私は自分の台所が出来ることと朝昼は義家族の食事の支度から開放されることで満足してしまったのかもしれません。
私は8人分の夕食もボロキッチンで作りました。
狭くて調理台にお皿を並べられなくても、食器をいちいち義母の台所から持って来なくてはならなくても、もう向こうの台所へは一切行きませんでした。
そのうち、仏壇にあげるお膳もこちらへ押し付けてきたのです。
我慢我慢の生活は何年くらい続いたでしょうか。
転機は小姑の離婚でした。
出戻って実家に転がり込んで来たのです。
しかし、私はこの好機を逃しませんでした。
「お互い気兼ねなく」を武器に完全別に成功したのです。ヤッター!
敵もなかなかでした。
「交代で作ることにしない?」なんて譲歩案?を出して来たり、あの手この手で詰め寄られましたが、今回だけは譲ったら終わりと心に決めて踏ん張った甲斐がありようやく完全別の食事になったのでした。
本当に長かったです!
思い出話に浸ってる場合じゃありませんでした。
銀行口座はほぼ空っぽなのに山のような引き落としが待っています。曜日の関係で月曜日まで延命されていますけど、ころっと忘れていて何の準備もしていません。
こういう時に限って仕事のシフトもATMに寄って行く余裕の無い時間帯です。
契約はいつになるのでしょうか。
先日、少々進展?の電話がありましたがワンツスリーとはいかないようです。
まだまだ借金生活は続いています。
コメントのお返事も遅れていて申し訳ありません。
ついついコタツでうたた寝ばかりしてしまいます。今の怠惰な生活に慣れて来てしまってるのかも。少し気を引き締めていかないといけないですね。

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