大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
雨上がりの湿った土だから草抜きがはかどりました。
が、膝をつけずにしゃがんでいるとこむら返りのようになって長くはできません。
通りがかった見知らぬ人がいちいち小まめに抜かなくても草刈機でざっと刈ったらいいと言われました。その方が楽だよと。
そんな御宅を知っています。
うちよりもっともっと広い庭で、遠目には青い芝もどきに見える庭が広がっています。
とても管理しきれないから雑草畑の上面だけ処理していると聞いたことがあります。
どっちが楽なんでしょうね。
少し前なら草刈機の燃料代がもったいないから、有無もなく地道に手で抜く手段しかありえませんでした。
いずれ、この家を捨ててコンクリートのマンションへ移りたい!
この気持ちは今もずっと変わりません。
どうせ捨てるなら苦労して芝の管理などすることないのに。
芝生用の除草剤だって、今なら買えるでしょうに。
日々、文句を言いながらも草抜きを続けている私、ちっぽけなプライドでしょうか。
私にプライドなんてあるのでしょうか?自分でも笑っちゃいます。
もっと楽な方にしたらいいと言われても、ここまで維持してきたのにもったいない気持ちが捨てられません。
義母の言う「おとうさんの建てた家」で、苦労の連続の大嫌いな家で、自分の思い通りには何一つならない恨めしい家で、年月が経ってボロボロになっていく家で、
唯一誰も立ち入らない、言い換えれば誰もやってくれない、この芝生だけが私の物のように感じます。
意に反した大きすぎる鯉のぼりと格闘したのも、外遊びへ連れて行かない息子が走り回ったのも、悔しくて辛くて泣きながら草抜きのふりをしたのも、この芝の上でした。
そう思い返すとなんだか感慨深いものがこみ上げてきます。
やっぱり私は、この家の人間ではなく外の人間なんですね。
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