大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
友達に誘われてぶらっと出掛けてきました。
足湯や地産地消のレストランでのんびりして、野菜を買い込んで帰ってきました。
楽しかったです。
楽しかったのですが、すべてが「お母さん」につながる彼女の話は理解しつつも心に引っかかることもあって考えさせられました。
足湯をしながら「お母さんも連れてきてあげた」話に始まり、数々の温泉旅行の話をしてくれました。彼女が言うには、高齢の母親は後十年がせいぜいだと思うと出掛けられるのは今のうちだから、ということです。
そんな気持ちになるのは、ごく自然なことだと思います。
でも、ランチ中も「お母さんはこういうのが好き」「今度連れてきてあげようかな」とすべてが「お母さん」につながるのです。
親孝行にとやかく言うつもりもないし、私自身が実母へ対して思い描いていた親孝行がまだできないでいる僻みでもありません。
そこまでお母さんを思うのなら引き取って一緒に暮らせばいいじゃん、と思いました。
話の中に出てくる兄嫁は鬼嫁で、お母さんがかわいそうにつながるからです。
そこまで鬼嫁なのかなと思うエピソードばかりで完全同居の苦しさを少しはわかってあげればいいのに、と密かに「嫁」の肩を持つ私の気持ちに気づくことなく「お母さん」を連発した彼女でした。
嫁の立場になったり、娘になったり、さらには姑にと私たち年代は忙しいですね。
楽しかったけど、いろいろと考えさせられた一日でした。
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この記事へのコメント
無題
と思われるのと同じですね
立場が変われば見える景色も変わりますしね。
Re:無題
そうですよね。
同居なんてしなければいいのに、なんで同居してしまうのでしょうか。
永遠のテーマですね。
難しいねー
Re:難しいねー
嫁の年代から姑の年代になった私ですが、現実は嫁のままですからね。
友人の姑立場の愚痴も頭ではわかっても、理解できないのが本心です。
めんどくさい、煩わしい、ほっといてくれ、こんな感情しか想像できませんでした。でも、なかなか言えないものですね。