大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
先日の「そのうち」から火がついた私のイライラに対して、珍しく反応が早かったマザオです。
夢のマンションライフの目処が一向に立たないことを突かれる度に「そのうち」だとか「仕方ない」もしくは「順番待ち」の答えが返ってきていました。
どうにもならないことは私だってわかっているのです。
でも、それを盾にやり過ごしなあなあになっているのは悔しくてなりません。
一体いつまで待てばいいのか!
健康で日々を楽しく過ごせるのはあとどれくらいでしょうか!
もう時間がない、そう思わざるを得ない状況です。
確かに、店を畳んだ頃よりは遥かに快適な生活なのかもしれません。
朝から晩まで商売に振り回されることもなく、資金繰りに苦しむこともなくなりました。
借金はまだまだあるものの、あと数年で完済の目処がつきました。
あれほど借金だらけでもう返せないと途方に暮れた日が嘘のようです。
毎日、義母と顔を合わせることもなくなり、
冷戦もあって外見的には接点が激減しています。
でも空気が違うのです。
義母がいるのといないのでは空気が違う!
自由の空気を吸わないとどんどん弱っていくような気がしてなりません。
今の会社で働き始めた頃は借金もあって、目一杯働きたいと踏ん張って来ました。
今年で丸六年、いつまで働けるかなと思うようになって来ました。
一日中立ち仕事は足も痛くなり、体がきつく感じるように。
日々、老いてきてるのです。
いくら別居できても健康でなければ楽しさ半減です。
毎日毎日、いつ?いつなの!と願い続けて年月は過ぎていきます。
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この記事へのコメント
空気の件
舅、姑がいるといないのでは、本当にちがいます。ご主人にとっては、いくつになっても母親ですから、そのあたりの気持ちはちょっと理解ができないかもしれませんね。
今の私にとっては、息子の嫁がちょっとそんな存在です。別に悪意を感じることはありませんが、こちらから呼ばない限り我が家に来ることはありません。食事に呼ぶと一家で来ますが、ほぼお客さんで、手伝うことはありません。旦那に言わせると、私がそんなオーラを出しているのだそうです。息子の話だけですが、家事の負担もどうやら息子のほうが多そうな感じです。お互い理解が足りないのでしょうね。これも空気ですよね?いつか、旦那か私のどちらかが先に逝ったら、息子たちと暮らすべきなのか?などと思うと、憂鬱です。同居の悩みは生きてる限り無くなることはないですね。
Re:空気の件
空気の話を理解してもらえるのは、やはり同居経験者でしょうか。
どんなに頷いてもらってもこの空気感はわからないのでしょうね。
主婦業交代で上げ膳据え膳となった私ですが、立場が違えばやはりいろいろ思うところがあったりします。どっかり座っていることに罪悪感すらあったのは最初だけでした。
言いはしませんが、出て来る夕飯にがっかりしたり悲喜交々です。勝手だなと自分でも思います。
これが嫁姑となるとまた厄介です。だから同居なんてするもんじゃないと今更遅すぎる後悔でした。