大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
憂鬱の極みだったお盆がやってきます。
昔のことを思えば、何の苦労もないような安泰な日々にはなりましたが、空気が重いのです。
私の気持ちの中に、知らん顔をしている罪悪感のような気持ちが潜在しているのかもしれません。やるだけのことはやって来たのだからもういいんだ!
そう思うようにしたくても心のどこかで義務感の呪縛から逃れられません。
ずいぶん年上の、義母と同じくらいの方でしょうか、「生きている人が先、無理しない程度で十分」と言われたことがあります。
毎日のように通っていた八百屋さんの軒先で唐突に言われたのでした。
盆行事をすべて押し付けられて、幼い息子を抱えて奮闘していた頃です。
生きてる人が先、
盆供養の準備に翻弄されてた私には大きく響く言葉でした。
だいたい仏壇にあげる霊御膳のメニューまでもを義母から指定され、おやつは別でそれも手作りを要求され、朝から晩まで台所に立っていました。
繁盛期の店はいつも人手不足で、いつの間にか台所仕事の合間は店へ出るようになり、まさしく不眠不休のような生活でした。
息子を寝かしつけようとして自分が寝込んでしまい、怒られることも度々。
マザオがかばって何か言おうものなら...
次の日の攻撃が怖くて何も言わなくていいと制したのは私自身でした。
あの頃から何もかもが変わったようにも思えますし、見方によっては根本は変わってないとも思えます。
体は楽になりました。
義母が自ら招いた自業自得の結果なのだから何も言えないのでしょうね。
思い知るがいい!と思いながらも、
アウェーで一人泣きながら堪えた私と自己流で自分の都合に合わせた義母では重荷の加減が違います。
だいたい私に命令したやり方と全然違うし!
煮豆を買うなんて主婦失格じゃなかったんでしたっけ?
精進料理でなく自分の好きなメニューを作らせた義母が作る御膳は、はあ?の出来栄えです。
知ったこっちゃないので見て見ぬ振りですけど。
お盆が休みでないお嫁さん、ご自愛くださいませ。
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