大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
世間が母の日で盛り上がれば盛り上がるほどに、気が重くなります。
なんでこんな日があるんだろうとさえ思えてしまうほどに。
もう関係ないと心に決めていても完全無視するにはどこか戸惑いがあって何故か身をひそめるような感覚があります。
義母だって、私や息子たちの誕生日や季節行事はとっくの昔からスルーしてるのだし、お互い様でしょう。
冷戦前までは、いいえ、まだ表面的に良好な関係だった頃には何かしらを用意していましたが、いつからかお礼の言葉を聞かなくなりました。
なぜか、マザオにお礼を言うのです。
用意したのも実際にお金を使ったのも私なのに。
もっと前、小姑と一緒にお金を出し合ってプレゼントしていた頃にも小姑には大袈裟な喜びとお礼を何度も言うくせに、私には「〇〇がこんな素敵なのを選んでくれた」と自慢報告になるのでした。
私は小姑らに言われてお金を出しただけと言えばそうですが、夫婦二人分の集金です。それなのにお礼の一つないことに私は内心、腹を立てていました。気分が悪かったです。
だったらマザオと私の自分たちだけで用意した方がまだ良かったのかもしれません。
実家へも顔を出さず、実母へのプレゼントなどありませんでした。
気は心とは言いますが、いつも「来年こそは」そんな気持ちで通過してきた母の日でした。
とにかく毎日の生活で必死で、そこへ夫婦二人分のプレゼント代ですから痛いことこの上なく、お礼もなし...
もう儀礼などしなくてもいいと、私一人、気持ちの上で決別しました。
不思議なことに私が母の日を無言でスルーし始めたら、急にマザオが浮上しています。
ご勝手に!
冷めた目で黙認しています。
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この記事へのコメント
無題
どうせしないのに自分で自分を苦しめてナンセンスだと思います
〝もらう価値なしと〝フフン♪ と笑っていれば良いのでは?
したければご主人と義妹でしてと言えば良いのに…
それより気になるのはご主人の心理状態です
人様のご主人をあれこれ言って失礼なのですが
うーさんの苦労を知っていながら義母への気遣いが普通ではなく、洗脳されているような脅迫感でも有りそうな感じです。
毒親に育てられた人は献身的でなければ罪悪感を感じるらしいです
うーさんのストレスの根源がご主人であれば、ご主人が変わらない限り幸せを感じるのは難しいと思います
Re:無題
もう何年も母の日は無視しています。
ただ世間の盛り上がりに、なぜかまったくの平常心でいられないのです。
義母は毒親ではないと思います。
血の繋がった娘や息子であるマザオへの愛情はただならぬものがありますから。常識がなく超がつく身勝手な私にとってはとんでもなく目障りな存在ではありますが。