大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
ネガティブから来るイライラは思いっきりマザオへ転嫁しています。
普段ならなんでもないことや、そこまで怒らなくてもいいことも、とことん突き詰めて追い込んでしまいます。
そこまで言うなら私自身はどうなの?
自問自答には黙秘権発動で、ほんの少しの罪悪感を押し込んでしまいます。
マザオはどちらかといえば、マメな性格だと思います。
私の方が大雑把で大胆かもしれません。
「全然違う環境で育った二人が」なんて言葉をよく聞きますが、マザオと私はすでに育った環境より長い時間を一緒に過ごしてきました。
自営業だった環境も、普通の人より夫婦で過ごす時間が多くなりました。
けれど、最近は、いくら長い時間を一緒に過ごしても考えの違いや習慣の違いってそう簡単にはなじまないんだと痛感することが多いです。
「育ち」とでも言うのでしょうか。
どちらが良くて、どちらが正しいというものでもありませんが、「それって違うでしょ!」と思うことが多くなってきている今日この頃です。
私の、相手を認める度量が小さいことも原因だと思います。
理性ではわかっているのです、そんなの特段に問題にすることもないって。
でも一旦気になりだしたら止まらない、止められないのです。
部屋の片隅に積み上げられたマザオの雑誌。
近日中に片付けると聞いてからどのくらい経ったでしょうか。
雑誌なんだから捨てちゃえば!の私と、保存しておきたいマザオ。
近日中が三日以内の私と、そのうちのマザオ。
この前書いた冷蔵庫の整理整頓も似たようなことですね。
私が家事の主導権を握っていた頃のマザオは、今の私なんかよりずっと寛大でした。
まあ気づかなかっただけかもしれませんが。
重箱の隅をつつくつもりはないのですが、ついつい目について「あーもう!」となってしまうのです。
こんな些細などうでもいいような事から、義母のだらしなさそっくり!に結びついて余計にげんなりしているのです。
義母がいなくなった後の片付けもどんなに大変だろうかとビクビクしてるのですから、せめて自分たちは小綺麗に暮らしたいのです。
波乱万丈の貧乏と時間に追われる生活に一区切りついたのですから、そろそろ次のステップへ進みたいと思うこの頃です。
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