大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
妊娠、出産ですら自分の思い描いてたものとは遠くかけ離れてました。
まず里帰り出産が許されなかったこと。
このことが後々まで大きく影響するのです。
複雑に絡み合った事情と義母の策略にまんまとハマった結果ですが、産前はともかく出産した退院後も義家で過ごすことになりました。
どんなに窮屈だったか、想像を超えたストレスで激太りして、すぐに激やせしました。
名付けの楽しみすら、奪われました。
息子が生まれた途端、跡取りだの将来の家長だのと言い出した義父母でした。
マザオと私が候補にと考えていた名前は全て却下され、揉めに揉めて母乳が出なくなりました。
提出期限ギリギリに納得がいかないまま名前を決めて、マザオが役所へ行きました。
「おばあさんじゃない」「お母さんと呼ばせたい」と馬鹿げた発言を繰り返してた義母も目の色を変えて子育てに首を突っ込んできたのです。
だからと言って、息子を預かったり面倒なことを引き受けたりすることはありませんでした。
決してかわいがってもらえなかったわけではないけど、私から見たら体のいいオモチャです。
だからこそ密かに思ってました。
息子は絶対に外へ羽ばたかせようって。
選択肢が増えるように大学まで進学させようって。
もちろん、本人が決めることですが、結果、二人の息子は遠く離れて自立しています。
息子の人生をこの家に埋もれさせるなんて絶対に許さない!
ずっとそう思って我慢してきて今に至ります。
振り返ると、私の子育ては自分のストレスをぶつけ怒ってばかりのひどいものでした。
反面教師かもしれません。
ああはなりたくない見本だったかもしれません。
ここに書き記されてる子育てのほんの一部は綺麗事です。
実際はひどいものでした。
ぎゃあぎゃあと怒鳴り、時にものを投げひっぱたく。留守がちなのに、たまに家にいれば怒ってばかりで世の中のお母さんのイメージには程遠い私です。
夢中でした。
もう一度、子育てをやり直せるなら...
非現実的な妄想がなぜか駆け巡ります。
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この記事へのコメント
無題
Re:無題
昭和おしんと呼ばれた日もありました。(笑)
時はすでに平成ですけど、紛れもなく今の時代なんですよー。
娘である小姑らも宇宙人と言う義母、細かいことまでつつけばキリがありません。
昔こうだったと言えば、割と素直に謝ることが多いです。
「覚えてないけど、そうだったらごめんなさい。」
謝ってもらった気がしません。「覚えてないけど」に余計、腹が立ちます。
そして、今更口先だけの謝罪で済むと思うなって心境になるのです。私の頑なな気持ち、自分でも持て余しているのかもしれませんね。^^
非公開コメントの方へ
そちらの様子はいかがでしょうか。
天災ばかりは人間が抗えるものでなく、大きな流れに逆らえない小さな力を悲しく思います。
でも、小さな力を合わせて立ち上がっていくのですよね。見習いたいと思います。^^
いつも応援ありがとうございます。
非公開コメントの方へ
祖母である姑が「お母さん」、母親の嫁が「ママ」と呼ばせる!こんな奇妙な発言をするところまで一緒ですか!
私のようにぐずぐず言うこともなく、前向きな姿勢と達観している心構えが大人です。
そろそろ私も幼児を脱皮しなくてはなりませんね。(笑)
笑顔で..頑張りたいです。