大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
病は気から?
私のグズグズもだいぶ落ち着いてきました。
何の根拠もないけれど、息子の欠勤も大丈夫と思えるようになりました。
先日、何でもないのに連絡が来て、私の中で聞きたいけど聞いちゃいけないと堂々巡りのモヤモヤを悟ったかのように「あ、会社ずっと行けてるから」と最後にさらっと伝えてくれました。
出来て当たり前のことで、責任のかけらもないと言われても仕方ない一進一退の歩みです。
少し前までは引きこもりや出社拒否などと聞くと甘えではないのかと思うこともありました。
いざ自分の息子が同じ立場になって、一言では言い尽くせない複雑な思いが渦巻いてなにもかもが上の空になりました。
自分の都合の良さに呆れてます。
きっと立ち直ってくれると信じてるアホさ加減も自覚しています。けど、信じることしか術が見つかりません。
なるようにしかならない!念仏のように繰り返してます。
皆様のコメントでも随分と励まされました。
人生楽しいことばかりであるわけもなく、人それぞれに悩みはつきものだということを改めて教えてくださいました。特に子供のことは堪えますよね。
今朝も大雨の中、義母の声が響いてげんなりしました。
いつ?、いつ出て行くのですか?
どうあがいてもまだまだ先のようです。
ですが、店をやっていた頃を思えばなんて平和な生活でしょうか。
少しずつ立ち直ってきたように感じています。

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法事で和尚さんがやってきました。
冷戦状態に入ってからは、こういう仏事もできる範囲でスルーしている私ですが、運悪く休みの日でした。
ご近所のおばあちゃんが、「先祖様の事は順番、お義母さんがやるのが筋」のような話をしてくれたのはいつでしたでしょうか。嫁の私が一手に引き受けてるのは変だと言ってくれたのでした。
それでも相変わらずで、家の中では私、お寺での行事などは義母と住み分けが変わっただけでしたが、あの日の冷戦勃発で私は一切から手を引いたのでした。
仕事の日であればマザオが対処するのでしょうけど、ドンピシャ休みの日では抜けるわけにもいきません。
たまたま頂いたお茶菓子があったので、仏壇と和尚さんへお出しするようにとマザオに託しました。
おやつと勘違いして食べちゃったって!!
はあ!?です。
あげるんじゃなかったと思いました。
マザオはゲラゲラ笑ってますが、私は怒り心頭です。
たかがお菓子一つですが、この感情はコントロールできません。
和尚さんが来ても喋る喋る、喋りまくって我ここにありの姿に辟易としました。
やっぱり義母はとても元気です...

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