大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
その昔、義母の長ったらしい無駄話に随分と翻弄されました。
結論にたどり着く前の話が長すぎて、最終的に何を言いたのか理解できないことも多々ありました。
迷惑極まりなかった義母の長話、
私自身も気をつけないといけないなと思うことがありました。
ああはならない!
ああはなりたくない!
強く思っていたのに
ちょっとした出来事の話をしていました。
話の途中でふと「この話、したかも?」と思って話をやめました。
相手は相槌を打ちながら聞いてくれていましたが、「この話したね。」と私がいうと、やはり、途中で「聞いたかも」と思ったそうです。
一度聞いた話を笑顔で相槌を打ってくれる優しさに、余計恥ずかしくなりました。
その人は「自分も同じだよ」と、同じ話をしたり、話したかどうかわからなくなったり、
この年代のあるあるだと言いました。
確かにそうです。
話が回りくどくなったり、要領よく話すということができなくなりつつある気がします。
理解力も衰えを感じてる今日この頃、老いは確実にやってきてる自覚があります。
義母のようにはなりたくない!
この思いを胸に気をつけなくてはと気を引き締めました。

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平穏な日々が続いています。
義母がいなくなったから小姑も来ない、だから天敵と会うことがなくなってるからです。
小姑にいたっては前回会ったのはいつだったか忘れてしまってるくらいです。
結婚しても実家に足繁く通い、義母が留守でも合鍵で勝手に侵入して帰宅を待ってる時間がたまらなく長く感じました。
小姑がいつ帰るのか息を潜めて様子を伺ってもいつも帰るのは夜でした。
それが、義母がいなくなってから一度もこの家に小姑らは来ていません。
あれだけ実家に執着してたくせに。
まあ、来訪されたら困りますけど。
私が嫁に来た時、義母は言いました。
もうこの家の人間になったのだから「実家はよその家」だと。
頻繁に訪問したり上り込んで自由気ままに過ごすなんてやってはいけないことだと。
そのやってはいけないことを延々とやり続けた小姑たちと、それを実家はくつろぐところと嬉々として受け入れていた義母
ばかやろー以外のなにものでもありません。

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