大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
孫ができて、自分が祖母という立場になって嬉しい気持ちとちょっぴり複雑な心境,,初めて気づきました。
もちろん、孫の存在は愛おしく嬉しいことで、「ばあば」が嫌というのではなく、そういう年齢になったんだという寂しさというか、うまく表現できませんが憂いな気持ちがあるのは否めません。
義母が敬老の日のお祝いを要らないと言った過去を、今になって少しだけ肯定的に思える自分がいます。
当時は、何言っちゃってるの!だったら知らない!!と憤慨したものですが。
極度に「おばあさん」を嫌がった義母だから、息子たちにも敬老の日のお祝いを提案したことはありません。日頃の恨み辛みが私の本音ですが。
空気を感じ取ってるのか分かりませんが、息子たち自ら敬老の日に何かしたこともありません。
そもそも当事者の義母が「ばあば」を拒否してるのだからお祝いをしないことが孝行というものだと屁理屈で肯定していました。
ということで、今日が敬老の日だと午後になって気づいたくらいです。
母の日もスルー、誕生日もスルー、今後もすべてスルーでいくと思います、たぶん。

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このところ失態続きです。
思い違いで失敗したり、クーポン券消化のために行ったのに使い忘れて買い物したり、うっかりミスの連続です。
物忘れも激しいし、仕事をしていても頭の働きが鈍っているのを感じます。
冗談交じりで、「ボケたら教えてね。」なんて言い合っているけれど、本当にボケても自分にはわからない気がします。
こうしてどんどん老化していくのですね。今までと同じペースで進むことは難しいと覚悟しなければいけないかもしれません。
得体の知れない怖さに包まれています。
「私の人生いいことがなんにもない。」
友人の言葉を聞いた時、私よりマシでしょと思っていたけれど、今は少し違います。
当時は離婚して自由な暮らしをしている友人が羨ましくて羨ましくて仕方なかったです。
お金のこと、将来への不安、わかるけど、自由があれば!そう思っていました。
でも、今となってはやはり「自由」と「生きていく」は別物だと思っています。
少し前までの私は、精神面と物質面、どちらも苦しくて毎日のように泣いてました。なんでもない時に自覚もなく涙が出たり、布団に入ると胸が詰まって眠れなかったり。
老化に向かう心細さもありますが、そういえば最近泣いてないことに気づきました。

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