大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
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罰当たりなタイトルで申し訳ないです。
実母が桃を持ってやってきました。
毎年恒例で、何十年も続いています。
子供の頃、実家では果物好きな母が夕食後に必ず果物のデザートを用意していました。
そんな環境で育った私は夕食後に一家団欒で季節のフルーツを食べるのが普通の光景だったのですが。
嫁入りしたら、その家の習慣に馴染まなくてはいけません、完全同居ですから。
果物は1個をみんなでわけるのが普通だった義家。
8人でりんごもオレンジも1個を切り分けて、一切れを銘々に分けたサラダ皿の端に乗せて終わり。いちごは1パックを皆んなで分けるので大きさより数の多い小粒のものを選んで買っても一人2、3個?
がっつりフルーツが食べたいと思っても完全同居の自室に水場がなかった頃は、ひとりで食べるわけにもいかず、食べる事さえ自由にならない生活にうんざりでした。
実母に、桃までも1個を切り分けて口に入る頃は変色した一切れを食べるのがやっとだとこぼしたことがあって、それ以来なにかにつけて箱買いした果物を持ってきてくれるのです。
義家に気を使って、全員が満喫出来るように大量に買い込んで・・・。
「結婚してから桃を丸かじりしたことがない」
実家には余命宣告を受けて療養中の父がいましたし、あまり愚痴って心配をかけたくなかった私は同居の苦痛をほとんど口には出していませんでした。
たぶん、母は気づいていたのでしょうが私が愚痴をこぼさない以上、母親からなにかれと聞く事はありませんでした。だから、ボロキッチンの提案もお金も、押し付けるような勢いで出してくれたんだと思います。
ぽろっとこぼした「桃を丸かじりしたい」の一言で、翌日大きな箱を持ってやってきました。
立派な桃が八つくらい入っていたでしょうか、それを二箱!お中元だと言って。
パートタイマーで療養中の父の世話をしながら生活を支えていた母にとって、桃二箱は決して安い買物ではなかったはずです。
お恥ずかしながら、私は桃の数を即座に数え「一人ふたつはある」などと意地汚くも堂々と桃を丸かじり出来るとほくそ笑んでました。
実母が帰ったあとで、箱を覗いた小姑らも歓声をあげました。
桃を指で追って、123と数えたあたりはいい年して私と同レベルでしたね。(笑)
冷蔵庫へ入れようとすると義母が「ご先祖様にお供えしないと」と言い出しました。
出た!!
ご先祖様病・・・
先祖を敬うのはいいことです。
なにごとも「ご先祖様あっての今」と常々、先祖ありきの義母はえらいと思います。
でもね、なんでもかんでも先祖先祖ってウザいったらありゃしない!
だったら自分で桃でも西瓜でも買ってくればいいのに、高いと言って買ってはきません。
巨峰やピオーネをもらった時だって、まず「ご先祖様」です。
箱ごとお供えしないと気が済まないみたいです。洗って冷やしたものをお皿に乗せてお供えするのではなく、箱ごと半日くらいお供えしておきます。
この季節、蒸し暑い部屋で箱ごと放置したら痛むだろーが!
皆さんで召し上がってと持ってきたけど、本当は娘に食べさせてってことだから!!
で、たいていが箱から勝手に取り出して、自分の知人に配ったりする図々しい義母。
なに考えてんのかしら!?
なんで嫁の母親が持ってきたものを、自分主導で指図するわけ?
一人2個のはずが一人1個もなくなりました。人数分だけでもとっとけや!なんで関係ない人に気前良くあげちゃうわけ?
この時はさすがの小姑も怒り心頭でした。
うちの母に失礼だってね。本心は桃が減っちゃった・・・かもだけど。
ご先祖様がとっても大事で気前の良い義母だけど、
知人から某国のお土産をいただいた時は、仏壇どころか私へ直行で「あげる」でした。
要らんわ!!
「ご先祖様にお供えしたら?」と言ったら「食べれないからいい」と答えた義母。
インドの紅茶をいただいたら、「紅茶は飲まない」ですって。これもお供えなし!
インドは仏教の国ですよ?そんな粗末なこと言ったらお釈迦様が泣きませんか?
今年、もらった桃
当然の顔して、「ご先祖様に・・」を何回も繰り返す義母
「お供え終わったら全部返してもらって!」
マザオに言ってやりました!(ふんっ)

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私の父が余命宣告を受けた時、マザオはすごく心配してくれました。
もちろん、義父母も。
そして、当たり前だけど、お見舞いもいただきました。
医師の診たてに反して、何年も小康状態を保ち、一時は病人とは思えぬくらいまで回復した実父。連絡を受けて駆けつけた私に言葉にならない何かを語りかけて静かに息を引き取りました。
この何年かの間にマザオがお見舞いに来たのは何回だったかな?
実家で静養している父の元へ訪問したのは何回くらいあったっけ?
一緒に暮らしてなければ、たまの訪問はお互いに気も使うから来なくても構わないんだけどね。
一家の大黒柱の父が倒れてから、実母はパートを目一杯こなして生活を支えてたから実の娘と孫だけの訪問のほうが気楽で助かったと思うからマザオは来なくてもよかったんです。
だから、実父が倒れ亡くなるまでのことを今さらとやかく言うつもりはありません。
義父が余命宣告を受けた時、上へ下への大騒ぎになり一家をあげての介護生活になったのも理解出来ます。
義母は夫である義父の付き添いのために、店から戦線離脱したのは当然だと思います。
義母の負担を少しでも減らすために、店を休業してマザオも看病に没頭したのも余命宣告を受けたのだから当然だと思います。
収入がなくなった我が家を支えるために保険の手続きに奔走し、我が子の学資保険を解約し、コツコツ貯めた僅かな貯金や店の運転資金など、すべてを差し出して店と家を支えました。
受験直前の子供に家事一切をお願いし、病院や銀行、そして役所へと走り回りました。
義父の葬儀が終わり、しばらくしてから義母が小姑らが本当によくしてくれたからお礼がしたいと言い出しました。自分の親のお見舞いへ行くのに、途中で実家に寄って母親も乗せて行くことがそんなにすごいことかしら?
付き添いのために一日中を病院で過ごす義母のために、小姑らはお弁当を作ってくれたみたいですけど、お礼するくらい大変なことかしら?
お見舞いへ行く頻度も義母への心遣いも、ずっとずっと少なかったかもしれない私は、自分の子供のことは放ったらかしで金策に走り回り、取引先へ事情を話して支払いを待ってもらったり、知人の保険外交員に切り抜ける方策を聞きに行ったり、雑用を一手に引き受けてた私はお礼の言葉ひとつ頂けなくても仕方ないかもね。
それどころか、「あんなにたくさんあった保険金はどうしちゃったの?」とまるで私が使い込んだようなセリフはなんなの?
給付金は、店を休んでたのだから、生活や会社維持のための必要経費で湯水のように消えて行きましたけど?
すべて、1円単位まで出納帳に記入して、みんなの前でノートを広げて「収支はこんなです」って見せましたよね。
まあ、あの時はあの時で・・・
実父の時も義父の時も、みんな精一杯だった・・・
父の日や母の日にいろいろ準備するのは私で、マザオはいつも知らん顔でした。
私たちも歳をとって、義父がなくなり義母も正真正銘おばあさんになったら急に母の日が大切になったみたい。
「おふくろに・・・」
そんなセリフが増えました。
ちょっと、どこかへ出掛けても「おふくろに・・・」と言うようになったマザオ。
子供の引越しの手伝いで、遠方出掛けたらお土産ですか?
ギリギリの予算でホテルも取らずにワンルームへ雑魚寝なのに?
「気は心で500円くらいのでいいじゃない?」
一箱だけ買うマザオ。
そういえば、母の日もいつだって一人分だっけ。
言わせてもらうけど、
マザオ、あなたのおふくろは
ひとりですか?
それなのに
「おふくろの面倒」
なんて言われてもねえ・・・
ノータッチでいられるわけがない事くらい、私だってわかってます!

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