大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
年頭にきっと今年もあっという間でしょうと書いたと思うのですが、もう折り返し月です。
このブログを始めた時、私は五十手前でした。あれから十年!
義母との別居、借金地獄からの脱出、永遠に続くかと思われた時間も記憶が薄らいでいく自分に驚いてます。老化なのか記憶の消去なのか分かりませんが、それを忘れる?ということまで思い出せない時があります。
もしかしたらすっかり忘却の彼方になっていることも多々あるかもしれません。
あれだけ絶対忘れないって憤っていたことさえ
義母がこの家を出て行った日
少しの憐れみと開放感と不安と希望で激しく揺れ動いてました。
「もう帰って来ないで」と素知らぬ顔で拝み続ける私と、何かにつけて「帰ってきた時」の想定をするマザオ。
もちろん、訪問的な帰宅を言ってることは理解できましたが、地雷には違いなくイライラさせてくれました。
そうは言いつつも開放感あふれる日々にすぐ慣れた私は、いわゆるバラ色の日々を経験しました。
バラ色にすっかり慣れてしまったのでしょうか?
それともここ最近の老化の自覚でナイーブになっているのでしょうか?
どこかすっきりしない気持ちを持ちながら毎日が流れています。

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目標を失ったかのような虚脱感です。
マンションライフは構想倒れのままですが、義母との接点はほぼゼロと言っていいくらいの現状です。
あれほど、この家が大嫌いだと吠えていたのにすっかり定着している自分がいます。
そんな自分にも嫌気がさしているのかもしれませんが、ひとまずは義母のいない安定した生活が送れていることに満足しているはずです。
それなのに、なぜ今になって鬱々とした感情が湧き上がって来るのか、なにをするのも億劫です。
マザオと喧嘩したわけでもなく、仕事でなにかあったわけでもなく、ちょっと見は順風満帆といえなくもないのです。
優雅とはいえませんが、返済と督促状に慄いた生活からは解き放たれました。
家事からも解放されて、
義母がいなくなってからは小姑たちの訪問もなくなり、一気に煩わしい人間関係が遠のきました。
これ以上なにを望んでいるのか、自分でもわかりません。
時々、ボロキッチンができる前のことが頭をよぎって苦しくなることも...
元来、楽観的な私なのになにをどうしたいのか、なにが原因なのか、さっぱりわからないけど
ただただ鬱々とした気持ちだけが消えません。

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