大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今でこそ、人前式っていうんですか、式に参加した人たちが証人になる形式にとらわれない結婚式を望む方も多いみたいですね。
ガーデンウェディングとか、レストランウェディングなんていうのも、かつては聞き慣れない形式でした。あったのかもしれないけど、私が住んでる地方で結婚式といえばホテルや式場が主流の時代だったんです。
あまりにも屈辱的だったんで思い出したくない結婚式です。
あまり人に話したこともないし、写真を見返すようなこともありません。
この歳になれば、結婚式の話なんて我がこととは関係ない感じなんですけどね。
ここには、全国区ではありませんが比較的有名で大きな神社があります。
結婚式はこの神社で完全和風の古式豊かな形式でやりたい、若い私はずっとそう思ってました。
義母の鶴の一声ですね、「神様が違うからその神社でお式は挙げられらない。」
一生に一度の晴れやかな主役の座はこの一言で崩れ去りました。
同居に誘導された時点から、もっともっと私自身が考えなければいけなかったのかもしれません。
心の片隅にちらりとかすめた「結婚するのやめた方が..」
当時の私には後戻りなど出来ませんでした。
式場はマザオの家でした。
今の家でなくマザオが幼少の頃に建てた普通の昭和チックな家。
義父が神主ごときを務め、途中で義母が素っ頓狂な声を上げながら祝詞?を
あー、思い出したくもない!!
その後、料亭へ移動し、時代劇に出てくるような披露宴もどきを執り行いました。
私は結構大きな会社を寿退社したわけですが、慣習にならって上司や同僚を結婚式へ呼ぶことも出来ませんでした。
新郎側が自営業で呼ぶ人がいないから。
引き出物も何もかもが思い出したくない結婚式でしたが、打ち掛けだけは知人のおかげでとても素敵なものを借りることができました。
でも、この三十年間、写真を出して見たことも、親族以外に見せたことも、むろん飾ったこともありません。

にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
PR
最近のブログの内容がめっきり変わってきたように思います。
義母の話題が減ってますね。
同居の積もり積もった鬱憤と自営という負のスパイラルから抜け出せない愚痴を吐き出すために始めたブログです。
確かに自営という呪縛からは切り離されたけど、貧乏と同居は依然としてまとわりついているわけで、さほど好転した生活をしているとも言えないのですけどね。
さっきも義母がいない隙を縫ってお風呂へ行ったら、入ってる間に義母が部屋へどっかり腰を据えてしまうというアクシデントに遭いました。
私が反撃を決意し実行に移して、ほとんど口を効かなくなってからの義母は強くなったり弱々しさを見せたりと起伏はあったものの、依然、ここの主は自分だと言わんばかりの態度でした。
でも、店を辞めてから急に老け込んだ気がします。元々、婆さんだけど。
店に出なくなって張っていた気が緩んだのか、小姑の一件が加速させたのか、わかりませんが、影が薄くなりつつあります。
私の態度がでかくなったというのもありますが。
反撃を始めてから、ちょいちょい出てくる「あの時のこういうことは許せない」過去の話に対しても謝ることがあります。もちろん「覚えてないけど、そんなことがあったなら」と前置き付きです。
今まで義母が謝るなんてあったでしょうか。
形だけの謝罪は何度かありますが、とにかく言い訳オンパレードの自分がかわいい人ですからね。
前置きがついていても謝るだけマシ?
とんでもない、ムカムカします。
「覚えてない」
あんたはそれで流せるかもしれないけど、私は絶対に忘れられないし許そうとも思わない。
火に油を注ぐとでも言いましょうか。
都合の悪いことは忘れられていい御身分です。
なぜか結婚式のゴタゴタを、今、思い出しました。

にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村