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大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

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和食器が好きでした。
特に美濃焼や備前焼のような野趣に富むような感じが。

焼き物に詳しいわけではありません。
むしろ全然わからないです。

結婚した頃、和食器風のコーヒーカップがよく出回っていました。
新婚の朝は、和風のお皿にトーストを乗せ・・・
ちょっとばかりオシャレな朝食を用意する自分を想像してはワクワクしていました。

まさかねえ・・・
みそ汁にたくあんを用意して、全員一緒の塗り箸をまるで大衆食堂の箸立てから抜くような朝食を迎えるとは夢にも思っていませんでした。


結婚当初の義家では、小豆色の丸い塗り箸が大量にダサい筒状のプラスチックの入れ物に突っ込んでありました。

食卓の片隅には新聞やダイレクトメールなどが積まれて、椅子の背もたれにはスーパーバッグがぶらさげられ誰かしらの上着が掛けられ、雑多な生活感満載のダッサイ古い家でした。

今の家を新築して、少し近代的になったものの生活習慣というのはなかなか変われるものではないのです。義母のわけのわからない片付け用と称する空き缶や空き箱が分別収納として積み上げられていきました。

あまりにたくさんの箱や缶は不揃いのために全然片付いた感じがしません。
むしろ散らかってるようにすら見えます。

台所に一番長時間いるのは私でしたが、何一つ自分の思い通りになったことはありません。

せっかくのシステムキッチンなのに、「使いやすいから」と壁にワイヤーネットを取り付けてお玉やフライ返しをぶら下げる、そんなセンスに同調しなくてはならなかったのです。

ダサ過ぎる!!

お玉の柄は白がくすんで絵柄が消えかけていて、その上焦げ痕付きという私の嫁入前からの年代物でした。
私の買ったシリコンターナーは引き出しの奥に突っ込まれ、昔よくあった所謂「フライ返し」はお玉の横です。柄が揃ってるわけないし、バラバラの年代物のくたびれた調理器具がぶらぶらと壁にぶら下がっている様はなんとも不格好でした。

シリコンとプラスチックの区別がつかないのか、熱い物にシリコンターナーを使う事を極度に嫌がった義母です。でもテフロンが剥げかけたフライパンは後生大事に使う人です。(もちろん油を引いて使います! 意味分からんし)

食器は同じ柄のシリーズを大量に買ってありました。
確かにセット感はありましたけど、全然おもしろくない。毎日毎日、同じ柄の同じ食器。小鉢も大皿も深皿もぜ〜んぶ同じ柄、全員お揃い!(きもっ)

好みの違いは仕方ないとしても、「嫁」って家事の中にかすかな楽しみを見つけることさえ許されないんでしょうか。

新築で越して来た時、玄関の脇にグリーンを置きたいという義母の意見に賛成しました。
スーッとした背丈のある観葉植物を連想した私です。

義母の言うグリーンは盆栽か!?のサイズ。それもひとつ、ふたつ、みっつと徐々に増えていきました。オシャレな鉢やプランターならまだしも、サイズもデザインもそれぞれがバラバラの植木鉢に脈絡なく植えられたグリーン?・・・

どちらかといえば洋風の玄関の脇は、昭和の縁台を思わせる鉢の数々!

玄関を入って横壁に据え付けられた下駄箱の飾り棚にはペットボトルにアルミホイルを巻いた一輪挿し・・・

気心知れた友達になら「私のセンスじゃない」って言えますけど、宅配の人やセールスマン、
関係のない人にも、「この奥さん(私)の趣味」と思われる・・・もう最悪です。


ボロキッチンを置くために改装してる間、私は自分好みの食器や調理器具を揃える楽しみを味わえるはずでした。玄関はどうにもならなくてもボロキッチンだけは自分のお城です。

でも、オシャレな物って高いんですよね。
思い通りには買えませんでした。


今夜の夕飯もお気に入りの和食器で食べました。

悲しいかな、20年も前に

デパートでもらった和食器です。

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主婦である以上、毎日の食事の支度は悩みのタネです。

特に同居となると手抜きをするには、かなりの勇気が必要です。
決して別居の方が手抜きし放題だというつもりは毛頭ありませんのであしからず。

休みのない主婦には「手抜きデーがあって然るべきじゃないの!?」くらいの気持ちです。


義家族の食事の用意を一手に引き受けてた頃は、1日中台所に立ってる感覚でした。

店が休みの日でも、皆の朝食は用意しなければなりません。
第一、小姑のお弁当を作らなければいけなかったし、子供を幼稚園へ送り出さなければならなかったし、休みが一致するはずもなく年中女中なんですよね。


あの頃は「朝マック」なんて言葉が飛び交って、休日の朝は遅めの朝食を家族でファーストフード店へ食べに行くなんてCMが流れてたりしました。

ブランチ、そんなオシャレなスローフードは私には無縁。
ファーストフードが食べたいんじゃなくて、そういう気ままな、ちょっと流行に乗ったライフスタイルを気兼ねなく出来る家庭が心底羨ましかったんです。


具合が悪くて横になっていても、容赦なくノックと同時に部屋にずかずかと入り込んで
「夕飯どうするの?」って詰問する義母です。

インフルエンザで40度の熱が出て寝込んだ時だって、そうでした。まだ幼稚園だった子供が「ママは病気で寝てるからダメ」と通せんぼで抗議しても大きな声で「言ってくれなきゃわからないでしょ、夕飯どうするの?」と言った義母です。

家の中にインフルエンザを持ち込んだのは小姑でした。
病気というのは本人の意思に関係なく好き好んで罹るのもではないのは百も承知です。だから私自身が高熱を出して寝込んだことで小姑に恨み辛みを言うつもりはありません。

だけど、この扱いの違いはなんなんですか?
少し前に、それウドンだ、おかゆだって騒いでたのですから同じメニューでいいじゃないですか!
ババアといえど、主婦なんだから夕飯くらい作ってみろや!

「アイス買ってきてあげる」と気遣う5歳の子供の方がよほど気が利いてます!!

嫁は憎くとも孫はかわいいでしょ!?
インフルエンザが移らないようにと、義母たちの大きなリビングで遊ばせてくれてもバチはあたらないと思うのに連れて行かないのはなぜ?私たちには、この一部屋しか与えられていないのに。


「夕飯はお弁当かお惣菜を買ってください」
そう指示(義母に「指示して!」と言われた)した通り?、しばらくして、子供は「ご飯だよ」と呼ばれて行きました。

私はといえば、怒り、恐怖、嫌悪、いろんな気持ちが交錯してビビって寝た振りでやり過ごしてしまいました。食欲があるはずもなく、食べなくてもいいや!そんな気持ちでした。


どれくらい時間が経ったのか、「起きたら食べにきて」と言われました。
立つのもしんどいのに、布団から出ると悪寒で鳥肌が立ったような記憶が残ってます。

食卓の上に並んだ冷めた天ぷらのお惣菜を見てこみ上げて来るものが。いろんな気持ちと食事を拒否する生体反応です。それらを無理矢理に押し込めて、茄子の天ぷらを噛んだとき、ジュワーッと油が口の中に広がりました。



年がら年中、言われてた、

「三食昼寝付きで羨ましい!」

この時は悔し涙がこぼれ落ちそうでした。

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