大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
ボロキッチンが完成しても、いったいいつになったら全員の食事の支度から開放されるのかも分からず私の家政婦業は相変わらずでした。
それでも誰に気兼ねするわけでもなく水が飲める、友達が来たらお茶を出せる、たったそれだけのことで有頂天でした。
友達が来ることもなく、水を飲めばトイレへ行きたくなるのにね。
昨日書いたように紆余曲折を経ながら、現在に至ります。
小さくて安普請ながらピカピカだったボロキッチンも二十年選手です。そう思うとまだまだ使える!と思ってる私はなかなかの貧乏性です。(笑)
ボロキッチンでいろんな物を作ってきました。
それまで義家族のために使っていた時間と労力を息子達のために使いました。
オーブンもホームベーカリーもないけれど、パンやピザ、肉まんまで手作りしてました。オーブントースターでなんでも出来るものですね。朝からフライパンでマフィンを焼いたり。
当時は子供部屋とは名ばかりで実質の使用禁止令が出ていましたから、ボロキッチンの部屋が居間であり、子供部屋であり、寝室でした。
タンスに学習机、おもちゃ箱、四方を物で囲まれて、いつも煮炊きのニオイがして、子供達が寝る時間はテレビも電気も消して息をひそめる、そんな生活でした。
でもボロキッチンの生活は私にとって地獄からの脱却であり夢心地の部屋だったのです。
歳を取ったのでしょうか。
最近になって、食べ盛りの子供達がおいしいと言って手作りのオヤツにかぶりついていた姿を思い出します。
大きくなった息子たちがこの家を出て、店を畳み、マザオが家のことをするようになりました。
先日のマザオ不在時に、包丁を握った瞬間、なぜだか過去のいろいろなシーンが走馬灯のように流れて懐かしいけど切ない気持ちがこみ上げて来ました。
包丁をしまって、ラーメンを食べに行きました。
帰りにコンビニでスイーツを買いました。
こんな贅沢はつい最近まで考えられない事でした。
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この記事へのコメント
無題
まさに、今を謳歌してますね✨
これまでの苦労が報われて良かった
しかし、酷すぎる義家族❗❗マザオさんもっと何とかなんなかったんでしょーか?と、言いたい‼
だってホント普通じゃないですもん。
Re:無題
まだまだ返済は続くし、それは長い道のりです。
今までのことを思えばどうってことないですが。(笑)
井の中にいると感覚が麻痺するのかもしれません。
今の私ならとっくに逃げ出してたか、新聞沙汰になっていたかも?と思う今日この頃です。
非公開コメントの方へ
以前のことを思えば苦労とは言えないほどですが、お金の苦労はまだまだ続く予定です。(笑)
それにババアはまだ健在ですからね。
おそろしや〜というところでしょうか。