大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
出戻り小姑のおかげで夕飯の支度もお役御免になり、出戻り小姑のせいで下の子の部屋にする予定がブチ壊しになりました。
出戻りって実家に帰ってきちゃうものですかねえ?
すでに兄夫婦が中心となってるのだから世代交代でしょー。アパートでしょー。
あ、私たちって「間借り人」のような境遇でしたっけ。(笑)
それはそうと、
離婚が決まり、アパートを引き上げる際のことです。
引越し当日、私たちの部屋のドア越しから嫌味がガンガン聞こえてきました。
この忙しいのに、部屋に引きこもって何やってんだか!
ということらしい。
私は年中忙しいですけど、この日だけ特別忙しいということもなかった。
何も悪い事はしていないのに、息をひそめて、移動はすり足で部屋の中から様子をうかがう私。
突然、庭に面した窓の方からヒステリックな声が。
「うちの事なのに何も手伝おうとしない!」
「絶対に許さないから!」
うちの事?
そうですね、義母の娘のこと、義母のうちの事ですよねー。
なんで私が小姑の離婚の後始末を手伝わなくちゃいけないんですか!(怒)
はあー、言えたらどんなにスッキリするか。
恐くて言えませんよ。ビビりまくって部屋の中でじっと嵐が過ぎ去るのを待ってました。トイレも我慢大会でしたね。真剣に子どものオムツ・・・、いやマジで。
当時は携帯もGメールもありません。マザオ(夫)に連絡したくても部屋からはちょっと無理。
夜、帰宅したマザオに涙ながらに訴えると、威勢良く喧嘩を買いに行きました。
もうひとりの小姑も手伝いに来ていたので義母と本人合わせて大人が3人もいるのに、子どもふたりを抱えた私がなぜ手伝わなければいけないのか、夕飯も作らせておいてえらそうなこと言うな、みたいな。
この時点では勝利でしたけど。ええ、マザオがいなくなると反撃に出るのが常!
翌日は、「冷たい」とか「家族なのに」とか「いつもそう」なる人格批判のアメアラレをわざわざ廊下で独り語りの義母、ご苦労様でしたね。
今は大口叩いてる私だけど、やっぱりこの時も息をひそめて泣いてました。
ああ、純情だったねえー(笑)
この「出戻り部屋」のゆくえがまた大変というか、おもしろいというか・・・。
そして、「引越し」のキーワードで思い出しました。またまた話題を提供できそうです。
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