大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
朝七時過ぎの電車へ乗るために、アップダウンを繰り返す駅までの道程を、来る日も来る日も自転車を走らせた長男でした。
予備校が閉まる最後まで自習室にいたようで、帰宅は十時を過ぎる毎日。
浪人生なら普通なのでしょうか。
楽しみは食べる事しかないようで、私ができる事は食事の用意しかありませんでした。
何が大変だったかといえば、家を出るまでに全く違うお弁当を二つ用意して持たせる事でした。お昼ご飯と夕ご飯代わりのお弁当です。
脳を使えば使うほどエネルギーを使ってお腹も減るそうですが、二つのお弁当とは別に帰宅してからも食事をとりました。もちろん朝ごはんも食べて出かけたので、一日四食の用意がきつかったです。
店の仕事、家の事、進学費用のために副業として単発のアルバイトもやりました。
その合間を縫って食事の支度です。
いまだに、あの頃はどうやってお弁当の支度や買い物をしてたんだろうと思ってしまいます。
ある日、私の友達が電車の中で長男とばったり会って「これ以上、親に迷惑かけられないから絶対に合格しないといけない」と言っていたと聞きました。
本当に辛かったのは浪人生となってしまった長男でしょうに、親にまで気を使わせているんだと悲しくなりました。
暑い夏も、寒い師走も、駅と自宅を自転車で往復し、とうとう二度目のセンター試験が迫ってきました。
頑張った甲斐あって模試の判定も上々でした。予備校の講師からも、この調子ならたぶん大丈夫だから併願私大は一つで良いとまで言われ、そのように出願しました。
二度目のセンター試験を終えて、パソコンで自己採点をした夜、今まで取ったことのないような点数を出した長男は男泣きして崩れ落ちました。第一志望は絶望的だったのです。
翌朝、部屋の前にセンター試験の解答が載った新聞が置かれていました。
義母です。
あれだけ関わるな!とマザオから言われてたのに!!
失意のどん底の長男が起きる前に、私がビリビリに引き裂いて生ゴミ入れへ突っ込みました。
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この記事へのコメント
無題
うーさんもえらかった!
Re:無題
あんな環境でよく頑張ったと思います。
私は心が壊れるかと思うくらい、えらかったです。(笑)
方言かな?、「疲れた」とか「きつい」などの意味合いで「えらい」と言います。
無題
読んだだけでも腹立つ行為ですね。
お義母様、どうして、そういう腹立たせる行為ばかりできるんですかね。
Re:無題
普通は当たらず触らずを心掛けると思うのに、あの新聞が置かれていた時の血圧の上がりようは今でも忘れられません。
クソババア!丸めた新聞を投げ返してやりたかったけど、出来ませんでした。
無題
Re:無題
いたらないことだらけの親ですが、支えようと思う気持ちは誰もが同じだと思うんですよねえ。
まして、孫は目に入れても痛くないというのが通説のはずですが..。