大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
「私もね、姑さんには苦労したの。」
結婚当初、義母がよく言っていました。
今は亡き義父は早くに両親を亡くしており、義母にとっての舅姑はいないはず。しかも一人っ子の義父、面倒な小舅小姑はいません。
姑ってどこの誰?
例の遠縁のおばあさんのことでした。 一緒に住んだこともなく、年老いてからは施設に入所してるのにどこが苦労なんだ!?
基本、義母は良い人だと思います。
これだけボロクソ言っておきながら、今更なにを!と思われるでしょうが根は悪い人ではないです。 ただ、能天気というか、天然? 度が過ぎてます。
それに我が事になると周りが見えなくなって暴走するタイプ。 姑と嫁だからか、近すぎるからか、嫌いというより、私、怒ってるんです!昔年の怒り!!
話が前後しますが、
改装してまだ3年の家を売って、今の家へ引っ越す時の話です。
引越しの日が決まりました。
猛暑の8月。
妊娠中に建築が始まったのですから、わかってたことですけど私は乳飲み子を抱えてました。
引越しまで日が迫ってきてるのになにも変わらない日常でした。
赤ん坊を抱えて3時間置きの授乳と当時は布おむつ。家政婦業は相変わらずで、小姑のお弁当作りから始まる毎日。
「こんな状態じゃ引越しできない!」
これ、言ったのは私じゃありません。小姑が、いい加減に引越しの準備をしたらどうだ!?という怒りの発言でした。
「赤ちゃんがいるのに、そんな思うように出来るわけないじゃない。」
これは義母の発言。
どういうこと?
引越しは私の肩に掛かってる?
私を庇って娘をいさめたと思ってるところがまたイタい。
お前らがやれよ!(言えない 泣)
引越しは委託する事が多くなる程に料金があがる、安くあげるには出来る事は自分たちでやらなければいけない。
こんな当たり前のことを滔々と説教まがいの口調で話す小姑。誰に言ってるのかは明白で、その場を立ち去る事も自室に引き上げることも出来ませんでした。
引越し先は歩いて10分くらいの近所。
荷入れが出来る状態になってすぐ、私は自室の物を運び始めました。車に積めるものは良しとして、ベッドの枠まで分解して歩いて持って行きました、赤ん坊をおんぶして!
本当です。
タンスの引き出しは車で運べましたけど、枠は乗りません。被るように担いで歩いて持っていきました。背中に赤ん坊がいるのですごく大変で、
ここまで書いて、自分で笑っちゃいました、バカです。タンスの枠を被って運んだなんて おしんもびっくりかもしれません。でも本当の話です。
引越しの件は、これで一矢報いる事ができた?(本当にバカ^^; )
またしても完全同居の新築の家。
やることが増えてますます大変になりました。まず掃除!最初の頃は3ヶ月に1回ワックスをかけてました、赤ん坊をおんぶで。
それと、広くきれいになったLDKとビルトインのガスオーブンが災いしてやたらとホームパーティをひらく習慣がついてしまいました。
いい年の大人が誕生会にメニューまで指定して、ケーキを焼かされ、支度に1日かかるんだってば!(怒)最初にやってしまった自分を大反省。お正月やお盆、お祭りは地獄でした。
このような新居での生活に、例のおばあさんが週一でやってくるようになったのでした。
義母の爆弾宣言!!
「おばあさんを引き取りたいと思ってる。」
うそでしょう?!
ただでさえ、週一のお泊まり会が負担だった私。粗相をしてしまった後始末も私、おばあさんに合わせた食事の支度も私。
義母は店へ行くというお題目があり、お世話をするのは私の担当でした。
施設では、「一度退所したら次の入所は難しいからよく考えた方がいい」と言ってくださり、そうこうしてるうちにおばあさんは亡くなったのです。
施設から、後見人である義父に連絡が来たものの、葬儀自体は施設で行うとのことでした。
義母はいい人です。
「お葬式くらい、うちで出してあげたい」
ふたり目を妊娠中の私ももれなくフル稼働、流産するかと思いました!
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結婚当初、義母がよく言っていました。
今は亡き義父は早くに両親を亡くしており、義母にとっての舅姑はいないはず。しかも一人っ子の義父、面倒な小舅小姑はいません。
姑ってどこの誰?
例の遠縁のおばあさんのことでした。 一緒に住んだこともなく、年老いてからは施設に入所してるのにどこが苦労なんだ!?
基本、義母は良い人だと思います。
これだけボロクソ言っておきながら、今更なにを!と思われるでしょうが根は悪い人ではないです。 ただ、能天気というか、天然? 度が過ぎてます。
それに我が事になると周りが見えなくなって暴走するタイプ。 姑と嫁だからか、近すぎるからか、嫌いというより、私、怒ってるんです!昔年の怒り!!
話が前後しますが、
改装してまだ3年の家を売って、今の家へ引っ越す時の話です。
引越しの日が決まりました。
猛暑の8月。
妊娠中に建築が始まったのですから、わかってたことですけど私は乳飲み子を抱えてました。
引越しまで日が迫ってきてるのになにも変わらない日常でした。
赤ん坊を抱えて3時間置きの授乳と当時は布おむつ。家政婦業は相変わらずで、小姑のお弁当作りから始まる毎日。
「こんな状態じゃ引越しできない!」
これ、言ったのは私じゃありません。小姑が、いい加減に引越しの準備をしたらどうだ!?という怒りの発言でした。
「赤ちゃんがいるのに、そんな思うように出来るわけないじゃない。」
これは義母の発言。
どういうこと?
引越しは私の肩に掛かってる?
私を庇って娘をいさめたと思ってるところがまたイタい。
お前らがやれよ!(言えない 泣)
引越しは委託する事が多くなる程に料金があがる、安くあげるには出来る事は自分たちでやらなければいけない。
こんな当たり前のことを滔々と説教まがいの口調で話す小姑。誰に言ってるのかは明白で、その場を立ち去る事も自室に引き上げることも出来ませんでした。
引越し先は歩いて10分くらいの近所。
荷入れが出来る状態になってすぐ、私は自室の物を運び始めました。車に積めるものは良しとして、ベッドの枠まで分解して歩いて持って行きました、赤ん坊をおんぶして!
本当です。
タンスの引き出しは車で運べましたけど、枠は乗りません。被るように担いで歩いて持っていきました。背中に赤ん坊がいるのですごく大変で、
ここまで書いて、自分で笑っちゃいました、バカです。タンスの枠を被って運んだなんて おしんもびっくりかもしれません。でも本当の話です。
引越しの件は、これで一矢報いる事ができた?(本当にバカ^^; )
またしても完全同居の新築の家。
やることが増えてますます大変になりました。まず掃除!最初の頃は3ヶ月に1回ワックスをかけてました、赤ん坊をおんぶで。
それと、広くきれいになったLDKとビルトインのガスオーブンが災いしてやたらとホームパーティをひらく習慣がついてしまいました。
いい年の大人が誕生会にメニューまで指定して、ケーキを焼かされ、支度に1日かかるんだってば!(怒)最初にやってしまった自分を大反省。お正月やお盆、お祭りは地獄でした。
このような新居での生活に、例のおばあさんが週一でやってくるようになったのでした。
義母の爆弾宣言!!
「おばあさんを引き取りたいと思ってる。」
うそでしょう?!
ただでさえ、週一のお泊まり会が負担だった私。粗相をしてしまった後始末も私、おばあさんに合わせた食事の支度も私。
義母は店へ行くというお題目があり、お世話をするのは私の担当でした。
施設では、「一度退所したら次の入所は難しいからよく考えた方がいい」と言ってくださり、そうこうしてるうちにおばあさんは亡くなったのです。
施設から、後見人である義父に連絡が来たものの、葬儀自体は施設で行うとのことでした。
義母はいい人です。
「お葬式くらい、うちで出してあげたい」
ふたり目を妊娠中の私ももれなくフル稼働、流産するかと思いました!
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